御書本文
有るは・うしをの大海にあるが如く生きたる人の如し、法華経を浅く信ずるは・あわのうしをの如し、深く信ずるは、海水の如し、あわはきえやすし、海水は消えざるなり、如説修行最も以て大切なり、然りと雖も、諸経の大河の極深なるも、大海のあわのしをの味をば具足せず、権教の仏は法華経の理即の凡夫には百千万倍劣るなり云云。
一妙楽大師の釈に末法之初冥利不無の釈の事 仰に云く此の釈の心は末法に於て冥の利益・迹化の衆あるべしと云う事なり、此の釈は薬王品の此経即為閻浮提人病之良薬若人有病得聞是経病即消滅不老不死云云、此の経文の意を底に含めて釈せり、妙楽云く然るに後五百は、且らく一往に従う、末法の初冥利無きにあらず、且く大教の流行す可き時に拠る、故に五百と云う文、仍つて本化の菩薩は顕の利益・迹化は冥の利益なるべし云云。
一爾前経瓦礫国の事 仰に云く法華経の第三に云く、如従飢国来忽遇大王饍と云云、六の巻に云く我此土安穏天人常充満我浄土不毀云云、此の両品の文の意は権教は悉く瓦礫の旅の国なり、あやまりて本国と思いて都と思わん事迷の故なり、一往四十二年住したる国なれば衆生皆本国と思えり、本国は此の法華経なり、信解品に云く遇向本国と、三五の下種の所を指して本国とも浄土とも大王饍とも云うなり、下種の心地即ち受持信解の国なり云云。
一無明悪酒の事 仰に云く無明の悪酒に酔うと云う事は弘法・慈覚・智証・法然等の人人なり、無明の悪酒と云う証文は勧持品に云く、悪鬼入其身是なり、悪鬼と悪酒とは同じ事なり悪鬼の鬼は第六天の魔王の事なり悪酒とは無明なり無明即魔王魔王即無明なり、其身の身とは日本国の謗法の一切衆生なり、入ると呑むとは同じ事なり、此の悪鬼入る人は阿鼻に入る、さて法華経の行者は入仏知見道故と見えて仏道に入る得入無上道とも説
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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御講聞書 | 身延 |
日蓮大聖人御書
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御講聞書 839ページ
有るは・うしをの大海にあるが如く生きたる人の如し、法華経を浅く信ずるは・あわのうしをの如し、深く信ずるは、海水の如し、あわはきえやすし、海水は消えざるなり、如説修行最も以て大切なり、然りと雖も、諸経の大河の極深なるも、大海のあわのしをの味をば具足せず、権教の仏は法華経の理即の凡夫には百千万倍劣るなり云云。
一妙楽大師の釈に末法之初冥利不無の釈の事 仰に云く此の釈の心は末法に於て冥の利益・迹化の衆あるべしと云う事なり、此の釈は薬王品の此経即為閻浮提人病之良薬若人有病得聞是経病即消滅不老不死云云、此の経文の意を底に含めて釈せり、妙楽云く然るに後五百は、且らく一往に従う、末法の初冥利無きにあらず、且く大教の流行す可き時に拠る、故に五百と云う文、仍つて本化の菩薩は顕の利益・迹化は冥の利益なるべし云云。
一爾前経瓦礫国の事 仰に云く法華経の第三に云く、如従飢国来忽遇大王饍と云云、六の巻に云く我此土安穏天人常充満我浄土不毀云云、此の両品の文の意は権教は悉く瓦礫の旅の国なり、あやまりて本国と思いて都と思わん事迷の故なり、一往四十二年住したる国なれば衆生皆本国と思えり、本国は此の法華経なり、信解品に云く遇向本国と、三五の下種の所を指して本国とも浄土とも大王饍とも云うなり、下種の心地即ち受持信解の国なり云云。
一無明悪酒の事 仰に云く無明の悪酒に酔うと云う事は弘法・慈覚・智証・法然等の人人なり、無明の悪酒と云う証文は勧持品に云く、悪鬼入其身是なり、悪鬼と悪酒とは同じ事なり悪鬼の鬼は第六天の魔王の事なり悪酒とは無明なり無明即魔王魔王即無明なり、其身の身とは日本国の謗法の一切衆生なり、入ると呑むとは同じ事なり、此の悪鬼入る人は阿鼻に入る、さて法華経の行者は入仏知見道故と見えて仏道に入る得入無上道とも説
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