御書本文

産湯相承事
879ページ

の草木花発らき菓成る。
 男女座を並べて有れども煩悩無く淤泥の中より出れども塵泥に染まず、譬えば蓮華の泥より出でて泥に染まざるが如し、人天・竜畜・共に白き蓮を各手に捧げて日に向つて今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子・唯我一人・能為救護と唱え奉ると見て驚けば則聖人出生し給えり、毎自作是念・以何令衆生・得入無上道・速成就仏身と苦我渧き給う。
 我少し寐みし様なりし時・梵帝等の諸天・一同音に唱えて言く善哉善哉・善日童子・末法教主釈迦仏と三度唱えて作礼して去し給うと寤に見聞きしなりと慥に語り給いしを聞し食しさては某は日蓮なりとの給いしなり。
 聖人重ねて曰う様は日蓮が弟子檀那等・悲母の物語りと思うべからず即ち金言なり・其の故は予が修行は兼ねて母の霊夢にありけり・日蓮は富士山自然の名号なり、富士は郡名なり実名をば大日蓮華山と云うなり、我中道を修行する故に是くの如く国をば日本と云い神をば日神と申し仏の童名をば日種太子と申し予が童名をば善日・仮名は是生・実名は即ち日蓮なり。
 久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神は我国に天下り始めし国は出雲なり、出雲に日の御崎と云う所あり、天照太神始めて天下り給う故に日の御崎と申すなり。
 我が釈尊・法華経を説き顕し給いしより已来十羅刹女と号す、十羅刹と天照太神と釈尊と日蓮とは一体の異名・本地垂迹の利益広大なり、日神と月神とを合して文字を訓ずれば十なり、十羅刹と申すは諸神を一体に束ね合せたる深義なり、日蓮の日は即日神・昼なり蓮は即月神・夜なり、月は水を縁とす蓮は水より生ずる故なり、又是生とは日の下の人を生むと書けり。
 日蓮は天上・天下の一切衆生の主君なり父母なり師匠なり、今久遠下種の寿量品に云く「今此三界皆是我有主君の義

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
産湯相承事 61   身延

日蓮大聖人御書

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産湯相承事 879ページ

の草木花発らき菓成る。
 男女座を並べて有れども煩悩無く淤泥の中より出れども塵泥に染まず、譬えば蓮華の泥より出でて泥に染まざるが如し、人天・竜畜・共に白き蓮を各手に捧げて日に向つて今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子・唯我一人・能為救護と唱え奉ると見て驚けば則聖人出生し給えり、毎自作是念・以何令衆生・得入無上道・速成就仏身と苦我渧き給う。
 我少し寐みし様なりし時・梵帝等の諸天・一同音に唱えて言く善哉善哉・善日童子・末法教主釈迦仏と三度唱えて作礼して去し給うと寤に見聞きしなりと慥に語り給いしを聞し食しさては某は日蓮なりとの給いしなり。
 聖人重ねて曰う様は日蓮が弟子檀那等・悲母の物語りと思うべからず即ち金言なり・其の故は予が修行は兼ねて母の霊夢にありけり・日蓮は富士山自然の名号なり、富士は郡名なり実名をば大日蓮華山と云うなり、我中道を修行する故に是くの如く国をば日本と云い神をば日神と申し仏の童名をば日種太子と申し予が童名をば善日・仮名は是生・実名は即ち日蓮なり。
 久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神は我国に天下り始めし国は出雲なり、出雲に日の御崎と云う所あり、天照太神始めて天下り給う故に日の御崎と申すなり。
 我が釈尊・法華経を説き顕し給いしより已来十羅刹女と号す、十羅刹と天照太神と釈尊と日蓮とは一体の異名・本地垂迹の利益広大なり、日神と月神とを合して文字を訓ずれば十なり、十羅刹と申すは諸神を一体に束ね合せたる深義なり、日蓮の日は即日神・昼なり蓮は即月神・夜なり、月は水を縁とす蓮は水より生ずる故なり、又是生とは日の下の人を生むと書けり。
 日蓮は天上・天下の一切衆生の主君なり父母なり師匠なり、今久遠下種の寿量品に云く「今此三界皆是我有主君の義


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