御書本文

善無畏三蔵抄
882ページ

見たがへて申すか又人の私に我と経文をつくりて事を仏説によせて候か、智慧おろかなる者弁へずして仏説と号するなんどと思食すべし、慧能が壇経・善導が観念法門経・天竺・震旦・日本国に私に経を説きをける邪師其の数多し、其の外私に経文を作り経文に私の言を加へなんどせる人人是れ多し、然りと雖も愚者は是を真と思うなり、譬えば天に日月にすぎたる星有りなんど申せば眼無き者は・さもやなんど思はんが如し、我が師は上古の賢哲・汝は末代の愚人なんど申す事をば愚なる者はさもやと思うなり、此の不審は今に始りたるにあらず陳隋の代に智顗法師と申せし小僧一人侍りき後には二代の天子の御師・天台智者大師と号し奉る、此の人始いやしかりし時・但漢土・五百余年の三蔵・人師を破るのみならず月氏・一千年の論師をも破せしかば南北の智人等・雲の如く起り東西の賢哲等・星の如く列りて雨の如く難を下し風の如く此の義を破りしかども終に論師・人師の偏邪の義を破して天台一宗の正義を立てにき、日域の桓武の御宇に最澄と申す小僧侍りき後には伝教大師と号し奉る、欽明已来の二百余年の諸の人師の諸宗を破りしかば始は諸人いかりをなせしかども後には一同に御弟子となりにき、此等の人人の難に我等が元祖は四依の論師・上古の賢哲なり汝は像末の凡夫愚人なりとこそ難じ侍りしか、正像末には依るべからず実経の文に依るべきぞ人には依るべからず専ら道理に依るべきか、外道・仏を難じて云く「汝は成劫の末・住劫の始の愚人なり我等が本師は先代の智者・二天・三仙是なり」なんど申せしかども終に九十五種の外道とこそ捨てられしか。
 日蓮八宗を勘へたるに法相宗・華厳宗・三論宗等は権経に依つて或は実経に同じ或は実経を下せり、是れ論師人師より誤りぬと見えぬ、倶舎・成実は子細ある上・律宗なんどは小乗最下の宗なり、人師より論師・権大乗より実大乗経なれば真言宗・大日経等は未だ華厳経等にも及ばず何に況や涅槃・法華経等に及ぶべしや、而るに善無畏三蔵は華厳・法華・大日経等の勝劣を判ずる時・理同事勝の謬釈を作りしより已来或はおごりをなして法華経は華

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
善無畏三蔵抄 49 義浄房・浄顕房 鎌倉

日蓮大聖人御書

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善無畏三蔵抄 882ページ

見たがへて申すか又人の私に我と経文をつくりて事を仏説によせて候か、智慧おろかなる者弁へずして仏説と号するなんどと思食すべし、慧能が壇経・善導が観念法門経・天竺・震旦・日本国に私に経を説きをける邪師其の数多し、其の外私に経文を作り経文に私の言を加へなんどせる人人是れ多し、然りと雖も愚者は是を真と思うなり、譬えば天に日月にすぎたる星有りなんど申せば眼無き者は・さもやなんど思はんが如し、我が師は上古の賢哲・汝は末代の愚人なんど申す事をば愚なる者はさもやと思うなり、此の不審は今に始りたるにあらず陳隋の代に智顗法師と申せし小僧一人侍りき後には二代の天子の御師・天台智者大師と号し奉る、此の人始いやしかりし時・但漢土・五百余年の三蔵・人師を破るのみならず月氏・一千年の論師をも破せしかば南北の智人等・雲の如く起り東西の賢哲等・星の如く列りて雨の如く難を下し風の如く此の義を破りしかども終に論師・人師の偏邪の義を破して天台一宗の正義を立てにき、日域の桓武の御宇に最澄と申す小僧侍りき後には伝教大師と号し奉る、欽明已来の二百余年の諸の人師の諸宗を破りしかば始は諸人いかりをなせしかども後には一同に御弟子となりにき、此等の人人の難に我等が元祖は四依の論師・上古の賢哲なり汝は像末の凡夫愚人なりとこそ難じ侍りしか、正像末には依るべからず実経の文に依るべきぞ人には依るべからず専ら道理に依るべきか、外道・仏を難じて云く「汝は成劫の末・住劫の始の愚人なり我等が本師は先代の智者・二天・三仙是なり」なんど申せしかども終に九十五種の外道とこそ捨てられしか。
 日蓮八宗を勘へたるに法相宗・華厳宗・三論宗等は権経に依つて或は実経に同じ或は実経を下せり、是れ論師人師より誤りぬと見えぬ、倶舎・成実は子細ある上・律宗なんどは小乗最下の宗なり、人師より論師・権大乗より実大乗経なれば真言宗・大日経等は未だ華厳経等にも及ばず何に況や涅槃・法華経等に及ぶべしや、而るに善無畏三蔵は華厳・法華・大日経等の勝劣を判ずる時・理同事勝の謬釈を作りしより已来或はおごりをなして法華経は華


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