御書本文
覚え候、一切の物にわたりて名の大切なるなり、さてこそ天台大師・五重玄義の初めに名玄義と釈し給へり。
日蓮となのる事自解仏乗とも云いつべし、かやうに申せば利口げに聞えたれども道理のさすところさもやあらん、経に云く「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」と此の文の心よくよく案じさせ給へ、斯人行世間の五の文字は上行菩薩・末法の始の五百年に出現して南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして無明煩悩の闇をてらすべしと云う事なり、日蓮は此の上行菩薩の御使として日本国の一切衆生に法華経をうけたもてと勧めしは是なり、此の山にしてもをこたらず候なり、今の経文の次下に説いて云く「我が滅度の後に於て応に此の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑い有ること無けん」と云云、かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、法華経の行者といはれぬる事はや不祥なりまぬかれがたき身なり、彼のはんくわいちやうりやうまさかどすみともといはれたる者は名を・をしむ故にはぢを思う故に・ついに臆したることはなし、同じはぢなれども今生のはぢは・もののかずならず・ただ後生のはぢこそ大切なれ、獄卒・だつえば懸衣翁が三途河のはたにて・いしやうをはがん時を思食して法華経の道場へまいり給うべし、法華経は後生のはぢをかくす衣なり、経に云く「裸者の衣を得たるが如し」云云。
此の御本尊こそ冥途のいしやうなれ・よくよく信じ給うべし、をとこのはだへをかくさざる女あるべしや・子のさむさをあわれまざるをやあるべしや、釈迦仏・法華経はめとをやとの如くましまし候ぞ、日蓮をたすけ給う事・今生の恥をかくし給う人なり後生は又日蓮御身のはぢをかくし申すべし、昨日は人の上・今日は我が身の上なり、花さけばこのみなり・よめのしうとめになる事候ぞ、信心をこたらずして南無妙法蓮華経と唱え給うべし、度度の御音信申しつくしがたく候ぞ、此の事寂日房くわしくかたり給へ。
九月十六日 日 蓮 花押
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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寂日房御書 | 58 | 寂日房日家 |
日蓮大聖人御書
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寂日房御書 903ページ
覚え候、一切の物にわたりて名の大切なるなり、さてこそ天台大師・五重玄義の初めに名玄義と釈し給へり。
日蓮となのる事自解仏乗とも云いつべし、かやうに申せば利口げに聞えたれども道理のさすところさもやあらん、経に云く「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」と此の文の心よくよく案じさせ給へ、斯人行世間の五の文字は上行菩薩・末法の始の五百年に出現して南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして無明煩悩の闇をてらすべしと云う事なり、日蓮は此の上行菩薩の御使として日本国の一切衆生に法華経をうけたもてと勧めしは是なり、此の山にしてもをこたらず候なり、今の経文の次下に説いて云く「我が滅度の後に於て応に此の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑い有ること無けん」と云云、かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、法華経の行者といはれぬる事はや不祥なりまぬかれがたき身なり、彼のはんくわいちやうりやうまさかどすみともといはれたる者は名を・をしむ故にはぢを思う故に・ついに臆したることはなし、同じはぢなれども今生のはぢは・もののかずならず・ただ後生のはぢこそ大切なれ、獄卒・だつえば懸衣翁が三途河のはたにて・いしやうをはがん時を思食して法華経の道場へまいり給うべし、法華経は後生のはぢをかくす衣なり、経に云く「裸者の衣を得たるが如し」云云。
此の御本尊こそ冥途のいしやうなれ・よくよく信じ給うべし、をとこのはだへをかくさざる女あるべしや・子のさむさをあわれまざるをやあるべしや、釈迦仏・法華経はめとをやとの如くましまし候ぞ、日蓮をたすけ給う事・今生の恥をかくし給う人なり後生は又日蓮御身のはぢをかくし申すべし、昨日は人の上・今日は我が身の上なり、花さけばこのみなり・よめのしうとめになる事候ぞ、信心をこたらずして南無妙法蓮華経と唱え給うべし、度度の御音信申しつくしがたく候ぞ、此の事寂日房くわしくかたり給へ。
九月十六日 日 蓮 花押
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