御書本文

種種御振舞御書
910ページ

なし・ますますにくみて御評定に僉議あり、頸をはぬべきか鎌倉ををわるべきか弟子檀那等をば所領あらん者は所領を召して頸を切れ或はろうにてせめ・あるいは遠流すべし等云云。
 日蓮悦んで云く本より存知の旨なり、雪山童子は半偈のために身をなげ常啼菩薩は身をうり善財童子は火に入り楽法梵士は皮をはぐ薬王菩薩は臂をやく不軽菩薩は杖木をかうむり師子尊者は頭をはねられ提婆菩薩は外道にころさる、此等はいかなりける時ぞやと勘うれば天台大師は「時に適うのみ」とかかれ章安大師は「取捨宜きを得て一向にすべからず」としるされ、法華経は一法なれども機にしたがひ時によりて其の行万差なるべし、仏記して云く「我が滅後・正像二千年すぎて末法の始に此の法華経の肝心題目の五字計りを弘めんもの出来すべし、其の時悪王・悪比丘等・大地微塵より多くして或は大乗或は小乗等をもつて・きそはんほどに、此の題目の行者にせめられて在家の檀那等をかたらひて或はのり或はうち或はろうに入れ或は所領を召し或は流罪或は頸をはぬべし、などいふとも退転なく・ひろむるほどならば・あだをなすものは国主は・どし打ちをはじめ餓鬼のごとく身をくらひ後には他国よりせめらるべし、これひとへに梵天・帝釈・日月・四天等の法華経の敵なる国を他国より責めさせ給うなるべし」ととかれて候ぞ、各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず、をやををもひ・めこををもひ所領をかへりみること・なかれ、無量劫より・このかた・をやこのため所領のために命すてたる事は大地微塵よりも・をほし、法華経のゆへには・いまだ一度もすてず、法華経をばそこばく行ぜしかども・かかる事出来せしかば退転してやみにき、譬えばゆをわかして水に入れ火を切るにとげざるがごとし、各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり。
 仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきが

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
種種御振舞御書 55 光日房  

日蓮大聖人御書

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種種御振舞御書 910ページ

なし・ますますにくみて御評定に僉議あり、頸をはぬべきか鎌倉ををわるべきか弟子檀那等をば所領あらん者は所領を召して頸を切れ或はろうにてせめ・あるいは遠流すべし等云云。
 日蓮悦んで云く本より存知の旨なり、雪山童子は半偈のために身をなげ常啼菩薩は身をうり善財童子は火に入り楽法梵士は皮をはぐ薬王菩薩は臂をやく不軽菩薩は杖木をかうむり師子尊者は頭をはねられ提婆菩薩は外道にころさる、此等はいかなりける時ぞやと勘うれば天台大師は「時に適うのみ」とかかれ章安大師は「取捨宜きを得て一向にすべからず」としるされ、法華経は一法なれども機にしたがひ時によりて其の行万差なるべし、仏記して云く「我が滅後・正像二千年すぎて末法の始に此の法華経の肝心題目の五字計りを弘めんもの出来すべし、其の時悪王・悪比丘等・大地微塵より多くして或は大乗或は小乗等をもつて・きそはんほどに、此の題目の行者にせめられて在家の檀那等をかたらひて或はのり或はうち或はろうに入れ或は所領を召し或は流罪或は頸をはぬべし、などいふとも退転なく・ひろむるほどならば・あだをなすものは国主は・どし打ちをはじめ餓鬼のごとく身をくらひ後には他国よりせめらるべし、これひとへに梵天・帝釈・日月・四天等の法華経の敵なる国を他国より責めさせ給うなるべし」ととかれて候ぞ、各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず、をやををもひ・めこををもひ所領をかへりみること・なかれ、無量劫より・このかた・をやこのため所領のために命すてたる事は大地微塵よりも・をほし、法華経のゆへには・いまだ一度もすてず、法華経をばそこばく行ぜしかども・かかる事出来せしかば退転してやみにき、譬えばゆをわかして水に入れ火を切るにとげざるがごとし、各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり。
 仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきが


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