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51報恩抄

293ページ

く顕にもはづれ冥にも叶うまじとをもう、しかれども外典の孝経にも父母主君に随はずして忠臣・孝人なるやうもみえたり、内典の仏経に云く「恩を棄て無為に入るは真実報恩の者なり」等云云、比干が王に随わずして賢人のなをとり悉達太子の浄飯大王に背きて三界第一の孝となりしこれなり。  かくのごとく存して父母・師匠等

52報恩抄

296ページ

き当に説ん而も其の中に於て此法華経は最も為難信難解なり」等云云、此の経文は但釈迦如来・一仏の説なりとも等覚已下は仰いで信ずべき上多宝仏・東方より来りて真実なりと証明し十方の諸仏集りて釈迦仏と同く広長舌を梵天に付け給て後・各各・国国へ還らせ給いぬ、已今当の三字は五十年並びに十方三世の諸仏の御経、一字一

53報恩抄

299ページ

失いて一言の返事なし。  重ねてせめて云く無量義経に正しく次説方等十二部経・摩訶般若・華厳海空等云云、仏我と華厳経の名をよびあげて無量義経に対して未顕真実と打ち消し給う法華経に劣りて候・無量義経に華厳経はせめられて候ぬいかに心えさせ給いて華厳経をば一代第一とは候けるぞ各各・御師の御かたうどせんとをぼ

54報恩抄

300ページ

め給いぬれば疑うべきにあらねども我が滅後はいかんがと疑いおぼして東方・宝浄世界の多宝仏を証人に立て給いしかば多宝仏・大地よりをどり出でて妙法華経・皆是真実と証し十方分身の諸仏重ねてあつまらせ給い広長舌を大梵天に付け又教主釈尊も付け給う、然して後・多宝仏は宝浄世界えかへり十方の諸仏各各本土にかへらせ給

55報恩抄

301ページ

・さもやとおもう、又太宗は賢王なり玄奘の御帰依あさからず、いうべき事ありしかども・いつもの事なれば時の威をおそれて申す人なし、法華経を打ちかへして三乗真実・一乗方便・五性各別と申せし事は心うかりし事なり、天竺よりは・わたれども月氏の外道が漢土にわたれるか法華経は方便・深密経は真実といゐしかば釈迦・多

56報恩抄

305ページ

てて東寺を給真言和尚とがうし此より八宗始る、一代の勝劣を判じて云く第一真言大日経・第二華厳・第三は法華涅槃等云云、法華経は阿含・方等・般若等に対すれば真実の経なれども華厳経・大日経に望むれば戯論の法なり、教主釈尊は仏なれども大日如来に向うれば無明の辺域と申して皇帝と俘囚との如し、天台大師は盗人なり真

57報恩抄

318ページ

有れば一として成仏せざる無し」と善導は「千の中に一も無し」等云云、法華経と善導とは水火なり善導は観経をば十即十生・百即百生・無量義経に云く「観経は未だ真実を顕さず」等云云、無量義経と楊柳房とは天地なり此れを阿弥陀仏の僧と成りて来つて汝が疏は真なりと証し給わんはあに真事ならんや、抑阿弥陀は法華経の座に

58報恩抄

319ページ

下に「昔予鷲峰説法の筵に陪して親り其の深文を聞く」等云云、此の筆を人に信ぜさせしめんがためにかまへ出だす大妄語か、されば霊山にして法華は戯論・大日経は真実と仏の説き給けるを阿難・文殊が悞りて妙法華経をば真実とかけるか・いかん、いうにかいなき婬女・破戒の法師等が歌をよみて雨す雨を三七日まで下さざりし人

59報恩抄

321ページ

、涅槃経の正法は法華経なり故に経の次ぎ下の文に云く「久く已に成仏す」、又云く「法華の中の如し」等云云、釈迦・多宝・十方の諸仏は一切経に対して「法華経は真実・大日経等の一切経は不真実」等云云、弘法大師は仏身を現じて華厳経・大日経に対して「法華経は戯論」等云云、仏説まことならば弘法は天魔にあらずや、又三

60四信五品抄

340ページ

し悪友に値えば即ち本心を失うとは是なり。  問うて曰く其の証如何答えて曰く止観第六に云く「前教に其の位を高うする所以は方便の説なればなり円教の位下きは真実の説なればなり」弘決に云く「前教と云うより下は正く権実を判ず教弥よ実なれば位弥よ下く教弥よ権なれば位弥よ高き故に」と、又記の九に云く「位を判ずるこ

61下山御消息

358ページ

私の言にはあらず、夫れ弥陀念仏と申すは源と釈迦如来の五十余年の説法の内・前四十余年の内の阿弥陀経等の三部経より出来せり、然れども如来の金言なれば定めて真実にてこそ・あるらめと信ずる処に後八年の法華経の序分たる無量義経に仏・法華経を説かせ給はんために先づ四十余年の経経・並に年紀等を具に数へあげて未顕真

62下山御消息

359ページ

・勢至等は阿弥陀仏の塩梅なり雙翼なり左右の臣なり両目の如し、然而極楽世界よりはるばると御供し奉りたりしが無量義経の時・仏の阿弥陀経等の四十八願等は未顕真実乃至法華経にて一名阿弥陀と名をあげて此等の法門は真実ならずと説き給いしかば実とも覚へざりしに阿弥陀仏正く来りて合点し給いしをうち見てさては我等が念

63下山御消息

364ページ

うべしと君臣師弟も此くの如しと此れ等は外典をも弁えず内典をも知らぬ人人の邪推なり外典の孝経には子父・臣君諍うべき段もあり、内典には恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ、悉達太子は閻浮第一の孝子なり父の王の命を背きてこそ父母をば引導し給いしか、比干が親父紂王を諫暁して胸をほられてこ

64本尊問答抄

365ページ

止観の四種三昧の本尊は阿弥陀仏とは彼は常坐・常行・非行非坐の三種の本尊は阿弥陀仏なり、文殊問経・般舟三昧経・請観音経等による、是れ爾前の諸経の内・未顕真実の経なり、半行半坐三昧には二あり、一には方等経の七仏・八菩薩等を本尊とす彼の経による、二には法華経の釈迦・多宝等を引き奉れども法華三昧を以て案ずる

65本尊問答抄

371ページ

の一門を立てたり譬えば心かしこくして身は卑しき者が身を上げて心はかなきものを敬いて賢人をうしなふがごとし、禅宗と申すは一代聖教の外に真実の法有りと云云譬えばをやを殺して子を用い主を殺せる所従のしかも其の位につけるがごとし、真言宗と申すは一向に大妄語にて候が深く其の根源をかくして候へば浅機の人あらはし

66諸宗問答抄

376ページ

なり般若部の円も前二麤のえせ物をつれたる仏慧なり、然る間仏慧の名は同と雖も過の辺に従つて麤と云われてわるき円教の仏慧と下され候なり、之に依て四教にても真実の勝劣を判ずる時は一往は三蔵を名て小乗と為し再往は三教を名て小乗と為すと釈して一往の時は二百五十戒等の阿含三蔵教の法門を総じて小乗の法と簡い捨てら

67諸宗問答抄

378ページ

さもやと覚えたれども悪く学者の得心たるなり、今云う此の義は譬へば法華の体内の権の金杖を仏三根にあてて体外に三度うちふり給へる其の影を機根が見付ずして皆真実の思を成して己が見に任せたるなり、其の真実には金杖を打折て三になしたる事が有らばこそ今の譬は合譬とはならめ、仏は権の金杖を折らずして三度ふり給へる

68諸宗問答抄

379ページ

葉は何重の葉ぞや委細に之を尋ぬ可きなり、此の花をありのままに云い出したる禅宗有らば実に心の一法をも一分得たる者と知る可きなり、設ひ得たりとは存知すとも真実の仏意には叶う可からず如何となれば法華経を信ぜざるが故なり、此の心は法華経の方便品の末長行に委く見えたり委は引て拝見し奉る可きなり、次に禅の法門何

69諸宗問答抄

381ページ

言を嫌はん其の上御辺の色心なり凡そ一切衆生の三世不断の色心なり、何ぞ汝本来の面目を捨て不立文字と云うや、是れ昔し移宅しけるに我が妻を忘れたる者の如し、真実の禅法をば何としてか知るべき哀なる禅の法門かなと責む可し。  次に華厳・法相・三論・倶舎・成実・律宗等の六宗の法門いかに花をさかせても申しやすく返

70諸宗問答抄

382ページ

事密真言とか立てられてあるやらん不審なり、之に依りて法の所談は教主の有無に随て沙汰有る可きなりと責む可きなり、次に大日如来は法身と云はば法華よりは未顕真実と嫌い捨てられたる爾前権教にも法身如来と説たり何ぞ不思議なるべきやと云う可きなり、若無始無終の由を云て・いみじき由を立て申さば必大日如来に限らず我

71主師親御書

387ページ

にも一の巻乃至四の巻・人記品までも来り給はず宝塔品に至つて初めて来り給へり。  釈迦仏・先四十余年の経を我と虚事と仰せられしかば人用うる事なく法華経を真実なりと説かせ給へども仏と云うは無虚妄の人とて永く虚言し給はずと聞きしに一日ならず二日ならず一月ならず二月ならず一年二年ならず四十余年の程まで虚言し

72一念三千理事

409ページ

見なりしも須達長者が正見に異らず、即ち知んぬ此の法身の本は衆生の当体なり、十方諸仏の行願は実に法身を証するなり、次に報身とは大師の云く「法如如の智如如真実の道に乗じ来つて妙覚を成ず智如の理に称う理に従つて如と名け智に従つて来と名く即ち報身如来なり盧舎那と名け此には浄満と翻ず」と釈せり、此れは如如法性

73十法界事

417ページ

凡夫・見思を断じて無漏の果を得・能く二種の涅槃の無為を証し塵数の菩薩・通別の惑を断じ頓に二種の生死の縛を超ゆ、無量義経の中に四十余年の諸経を挙げて未顕真実と説くと雖も而も猶爾前・三乗の益を許す、法華の中に於て正直捨方便と説くと雖も尚見諸菩薩授記作仏と説く此くの如き等の文爾前の説に於て当分の益を許すに

74十法界事

418ページ

心は小乗の理に称わざるのみ、又天台の文句第九に云く「七方便並に究竟の滅に非ず」已上、此の釈は是れ爾前の前三教の菩薩も実には不成仏と云えるなり、但し未顕真実と説くと雖も三乗の得道を許し正直捨方便と説くと雖も而も見諸菩薩授記作仏と云うは、天台宗に於て三種の教相有り第二の化導の始終の時過去の世に於て法華結

75十法界事

420ページ

事の文・妙法華経・皆是真実の証誠皆以て無益なり皆是真実の言は豈一部八巻に亘るに非ずや、釈迦・多宝・十方分身の舌相至梵天の神力・三世諸仏の誠諦不虚の証誠・空く泡沫に同ぜん、但し小乗の断常の二見に至つては且く大乗に対して小乗を以て外道に同ず小益無きに非ざるなり、又七方便並に究竟の滅に非ざるの釈・或は復但

76十法界事

421ページ

は但自界の見思を断除すると思うて六界の見思を断ずることを知らず菩薩も亦是くの如し自界の三惑を断尽せんと欲すと雖も六界・二乗の三惑を断ずることを知らず、真実に証する時は一衆生即十衆生・十衆生即一衆生なり、若し六界の見思を断ぜざれば二乗の見思を断ず可からず是くの如く説くと雖も迹門は但九界の情を改め十界互

77十法界事

422ページ

真如を指す尚小の真を失えり仏性安んぞ在らん」と云う釈をば云何が会す可き、但し此の尚失小真の釈は常には出だす可からず最も秘蔵す可し、但し「妙法蓮華経皆是真実」の文を以て迹門に於て爾前の得道を許すが故に爾前得道の義有りと云うは此れは是れ迹門を爾前に対して真実と説くか、而も未だ久遠実成を顕さず是れ則ち彼の

78十法界事

423ページ

び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出で伽耶城を去ること遠からずして三菩提を得たりと謂えり我実に成仏してより以来」已上、我実成仏とは寿量品已前を未顕真実と云うに非ずや是の故に記の九に云く「昔七方便より誠諦に至るまでは七方便の権と言うは且く昔の権に寄す若し果門に対すれば権実倶に是れ随他意なり」已上、

79十法界明因果抄

427ページ

ざる如何、答えて云く堅慧菩薩の造・勒那摩提の訳・究竟一乗宝性論に云く「楽て小法を行じて法及び法師を謗じ○如来の教を識らずして説くこと・修多羅に背いて是真実義と言う」文、此の文の如くんば小乗を信じて真実義と云い大乗を知らざるは是れ謗法なり、天親菩薩の説・真諦三蔵の訳・仏性論に云く「若し大乗に憎背するは

80十法界明因果抄

435ページ

には相待妙の戒・二には絶待妙の戒なり、先ず相待妙の戒とは四十余年の大小乗の戒と法華経の戒と相対して爾前を麤戒と云い法華経を妙戒と云うて諸経の戒をば未顕真実の戒・歴劫修行の戒・決定性の二乗戒と嫌うなり、法華経の戒は真実の戒・速疾頓成の戒・二乗の成仏を嫌わざる戒等を相対して麤妙を論ずるを相対妙の戒と云う

81顕謗法抄

449ページ

んど・とかれて候が彼のけうの教の如く十念申して往生すべきを後の経を以て申しやぶらば謗法にては候まじきか、答えて云く仏・観経等の四十余年の経経を束て未顕真実と説かせ給いぬれば此の経文に随つて乃至十念・即得往生等は実には往生しがたしと申す此の経文なくば謗法となるべし、問うて云く或人云く無量義経の四十余年

82顕謗法抄

450ページ

は古の謗法者の料簡に似たり、但し且く汝等が料簡に随て尋ね明らめん、問う法華已前に二乗作仏を嫌いけるを今未顕真実というとならば先ず決定性の二乗を仏の永不成仏と説かせ給し処処の経文ばかりは未顕真実の仏の妄語なりと承伏せさせ給うか、さては仏の妄語は勿論なり若し爾らば妄語の人の申すことは有無共に用いぬ事にて

83顕謗法抄

456ページ

には二乗・大乗・一乗をあげて二乗・大乗をはし・涅槃経には諸大乗経をあげて涅槃経に対してこれをはす、密厳経には一切経中王ととき・無量義経には四十余年未顕真実ととかれ・阿弥陀経には念仏に対して諸経を小善根ととかる、これらの例一にあらず故に又彼の経経による人師皆此の義を存せり、此等をもつて思うに宗を立つる

84持妙法華問答抄

461ページ

世に候はじ何ぞ誤りの甚しきや、且く一経・一流の釈を引いて其の迷をさとらせん、無量義経に云く「種種に法を説き種種に法を説くこと方便力を以てす四十余年未だ真実を顕さず」云云、此の文を聞いて大荘厳等の八万人の菩薩・一同に「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐるとも終に無上菩提を成ずることを得ず」と領解し給へり、

85持妙法華問答抄

462ページ

「唯法華に至つて前教の意を説いて今教の意を顕す」と申して法華経にて如来の本意も教化の儀式も定りたりと見えたり、之に依つて天台は「如来成道・四十余年未だ真実を顕さず法華始めて真実を顕す」と云へり、此の文の心は如来・世に出でさせ給いて四十余年が間は真実の法をば顕さず法華経に始めて仏になる実の道を顕し給へ

86持妙法華問答抄

463ページ

候べきや、答えて云く法華経は二乗の為なり菩薩の為にあらず、されば未顕真実と云う事二乗に限る可しと云うは徳一大師の義か此れは法相宗の人なり、此の事を伝教大師破し給うに「現在の麤食者は偽章数巻を作りて、法を謗じ人を謗ず何ぞ地獄に堕せざらんや」と破し給ひしかば徳一は其の語に責められて舌八にさけてうせ給いき

87持妙法華問答抄

467ページ

逆の難の御祈禱にも此の妙典に過ぎたるはなし、令百由旬内無諸衰患と説かれたればなり。  然るに当世の御祈禱はさかさまなり先代流布の権教なり末代流布の最上真実の秘法にあらざるなり、譬えば去年の暦を用ゐ烏を鵜につかはんが如し是れ偏に権教の邪師を貴んで未だ実教の明師に値わせ給はざる故なり、惜いかな文武の卞和

88聖愚問答抄上

480ページ

の諸法を観ずるに宣説す可からず、所以は何ん諸の衆生の性慾不同なるを知れり性慾不同なれば種種に法を説く種種に法を説くこと方便の力を以てす四十余年には未だ真実を顕わさず」文、此の文の意は仏の御年三十にして寂滅道場菩提樹の下に坐して仏眼を以て一切衆生の心根を御覧ずるに衆生成仏の直道たる法華経をば説くべから

89聖愚問答抄上

481ページ

皆是真実と宣べ給へり、此の経は一字も諸仏の本懐・一点も多生の助なり一言一語も虚妄あるべからず此の経の禁を用いざる者は諸仏の舌をきり賢聖をあざむく人に非ずや其の罪実に怖るべし、されば二の巻に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ず」文、此の文の意は若人此経の一偈一句をも背かん人は

90聖愚問答抄上

485ページ

華をふらせしかども妙楽大師は感応斯くの如きも猶理に称わずとていまだ仏法をばしらずと破し給う、夫れ此の法華経と申すは已今当の三説を嫌つて已前の経をば未顕真実と打破り肩を並ぶる経をば今説の文を以てせめ已後の経をば当説の文を以て破る実に三説第一の経なり、第四の巻に云く「薬王今汝に告ぐ我所説の経典而かも此の

91聖愚問答抄下

493ページ

と申す仏になし申されけるは不孝の人と云うべきか、経文には棄恩入無為・真実報恩者と説いて今生の恩愛をば皆すてて仏法の実の道に入る是れ実に恩をしれる人なりと見えたり、又主君の恩の深き事・汝よりも能くしれり汝若し知恩の望あらば深く諫め強いて奏せよ非道にも主命に随はんと云う事・佞臣の至り不忠の極りなり、殷の

92聖愚問答抄下

497ページ

い信心を運び渇仰を至さば遷滅無常は昨日の夢・菩提の覚悟は今日のうつつなるべし、只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福や有るべき、真実なり甚深なり是を信受すべし。  愚人掌を合せ膝を折つて云く貴命肝に染み教訓意を動ぜり然りと雖も上能兼下の理なれば広きは狭きを括り多は少を兼ぬ、然る

93如説修行抄

501ページ

末法今の時は教機時刻当来すといへども其の師を尋ぬれば凡師なり、弟子又闘諍堅固・白法隠没・三毒強盛の悪人等なり、故に善師をば遠離し悪師には親近す、其の上真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定せり、されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし況滅度後の大難の三類甚しかるべしと、

94如説修行抄

502ページ

れけるこそ時の不祥なれ、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心・妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の敵人をせむ

95当体義抄

511ページ

衆生是三無差別」の文と法華経の諸法実相の文とには過ぐ可からざるなり南岳大師の云く「心体に染浄の二法を具足して而も異相無く一味平等なり」云云、又明鏡の譬真実に一二なり委くは大乗止観の釈の如し又能き釈には籤の六に云く「三千理に在れば同じく無明と名け三千果成ずれば咸く常楽と称す三千改むること無ければ無明即

96当体義抄

513ページ

と欲すに機無く時無し故に一の法蓮華に於て三の草華を分別し三乗の権法を施し擬宜誘引せしこと四十余年なり、此の間は衆生の根性万差なれば種種の草華を施し設けて終に妙法蓮華を施したまわざる故に、無量義経に云く「我先に道場菩提樹下乃至四十余年未だ真実を顕さず」文、法華経に至つて四味三教の方便の権教・小乗・種種

97当体義抄

515ページ

秘法・末法の我等が現当二世を成就する当体蓮華の誠証は此の文なり、故に末法今時に於て如来の御使より外に当体蓮華の証文を知つて出す人都て有る可からざるなり真実以て秘文なり真実以て大事なり真実以て尊きなり、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経爾前の円の菩薩等の今経に大衆八万有つて具足の道を聞かんと欲す云云、是なり

98当体義抄

517ページ

ず未断惑と云わるるなり、然れば菩薩処処得入と釈すれども二乗を嫌うの時一往得入の名を与うるなり、故に爾前迹門の大菩薩が仏の蓮華を証得する事は本門の時なり真実の断惑は寿量の一品を聞きし時なり、天台大師・涌出品の五十小劫・仏の神力の故に・諸の大衆をして半日の如しと謂わしむの文を釈して云く「解者は短に即して

99当体義抄

518ページ

しく初住に叶うなり、妙楽の釈に云く「開迹顕本皆初住に入る」文、仍賢位に居すの釈之を思い合すべし、爾前迹化の衆は惑者未だ無明を破せざる仏菩薩なりと云う事真実なり真実なり、故に知ぬ本門寿量の説顕れての後は霊山一会の衆皆悉く当体蓮華を証得せしなり、二乗・闡提・定性・女人等の悪人も本仏の蓮華を証得するなり、

100当体義抄

519ページ

雖も在生の時は妙法流布の時に非ず、故に妙法の名字を替えて止観と号し一念三千・一心三観を修し給いしなり、但し此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱うる事を自行真実の内証と思食されしなり、南岳大師の法華懺法に云く「南無妙法蓮華経」文、天台大師の云く「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文、又云く「稽首妙法蓮華経」云云

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日蓮大聖人御書

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