御書本文

太田殿女房御返事
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弘法・慈覚・智証等の法門はさんざんの事にては候なり、但し大論は竜樹の論たる事は自他あらそう事なし、菩提心論は竜樹の論・不空の論と申すあらそい有り、此れはいかにも候へ・さてをき候ぬ、但不審なる事は大論の心ならば即身成仏は法華経に限るべし文と申し道理きわまれり、菩提心論が竜樹の論とは申すとも大論にそむいて真言の即身成仏を立つる上唯の一字は強と見へて候、何の経文に依りて唯の一字をば置いて法華経をば破し候いけるぞ証文尋ぬべし、竜樹菩薩の十住毘婆娑論に云く「経に依らざる法門をば黒論」と云云自語相違あるべからず、大論の一百に云く「而も法華等の阿羅漢の授決作仏乃至譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」等云云、此の釈こそ即身成仏の道理はかかれて候へ、但菩提心論と大論とは同じ竜樹大聖の論にて候が水火の異をば・いかんせんと見候に此れは竜樹の異説にはあらず訳者の所為なり、羅什は舌やけず不空は舌やけぬ、妄語はやけ実語はやけぬ事顕然なり、月支より漢土へ経論わたす人一百七十六人なり其の中に羅什一人計りこそ教主釈尊の経文に私の言入れぬ人にては候へ、一百七十五人の中・羅什より先後・一百六十四人は羅什の智をもつて知り候べし、羅什来らせ給いて前後一百六十四人が悞も顕れ新訳の十一人が悞も顕れ又こざかしくなりて候も羅什の故なり、此れ私の義にはあらず感通伝に云く「絶後光前」と云云、前を光らすと申すは後漢より後秦までの訳者、後を絶すと申すは羅什已後・善無畏・金剛智・不空等も羅什の智をうけて・すこしこざかしく候なり、感通伝に云く「已下の諸人並びに皆俊」云云、されば此の菩提心論の唯の文字は設い竜樹の論なりとも不空の私の言なり、何に況や次下に「諸教の中に於て闕いて書せず」と・かかれて候・存外のあやまりなり。
 即身成仏の手本たる法華経をば指をいて・あとかたもなき真言に即身成仏を立て剰え唯の一字を・をかるる条・天下第一の僻見なり此れ偏に修羅根性の法門なり、天台智者大師の文句の九に寿量品の心を釈して云く「仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」とかかれて候、此れこそ即身成仏の明文にては候へ、

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
太田殿女房御返事 54   身延

日蓮大聖人御書

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太田殿女房御返事 1,007ページ

弘法・慈覚・智証等の法門はさんざんの事にては候なり、但し大論は竜樹の論たる事は自他あらそう事なし、菩提心論は竜樹の論・不空の論と申すあらそい有り、此れはいかにも候へ・さてをき候ぬ、但不審なる事は大論の心ならば即身成仏は法華経に限るべし文と申し道理きわまれり、菩提心論が竜樹の論とは申すとも大論にそむいて真言の即身成仏を立つる上唯の一字は強と見へて候、何の経文に依りて唯の一字をば置いて法華経をば破し候いけるぞ証文尋ぬべし、竜樹菩薩の十住毘婆娑論に云く「経に依らざる法門をば黒論」と云云自語相違あるべからず、大論の一百に云く「而も法華等の阿羅漢の授決作仏乃至譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」等云云、此の釈こそ即身成仏の道理はかかれて候へ、但菩提心論と大論とは同じ竜樹大聖の論にて候が水火の異をば・いかんせんと見候に此れは竜樹の異説にはあらず訳者の所為なり、羅什は舌やけず不空は舌やけぬ、妄語はやけ実語はやけぬ事顕然なり、月支より漢土へ経論わたす人一百七十六人なり其の中に羅什一人計りこそ教主釈尊の経文に私の言入れぬ人にては候へ、一百七十五人の中・羅什より先後・一百六十四人は羅什の智をもつて知り候べし、羅什来らせ給いて前後一百六十四人が悞も顕れ新訳の十一人が悞も顕れ又こざかしくなりて候も羅什の故なり、此れ私の義にはあらず感通伝に云く「絶後光前」と云云、前を光らすと申すは後漢より後秦までの訳者、後を絶すと申すは羅什已後・善無畏・金剛智・不空等も羅什の智をうけて・すこしこざかしく候なり、感通伝に云く「已下の諸人並びに皆俊」云云、されば此の菩提心論の唯の文字は設い竜樹の論なりとも不空の私の言なり、何に況や次下に「諸教の中に於て闕いて書せず」と・かかれて候・存外のあやまりなり。
 即身成仏の手本たる法華経をば指をいて・あとかたもなき真言に即身成仏を立て剰え唯の一字を・をかるる条・天下第一の僻見なり此れ偏に修羅根性の法門なり、天台智者大師の文句の九に寿量品の心を釈して云く「仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」とかかれて候、此れこそ即身成仏の明文にては候へ、


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