御書本文
曾谷入道殿御書
曾谷入道殿御書 文永十一年 五十三歳御作
於身延
自界叛逆難・他方侵逼の難既に合い候い畢んぬ、之を以て思うに「多く他方の怨賊有つて国内を侵掠し人民諸の苦悩を受け土地に所楽の処有ること無けん」と申す経文合い候いぬと覚え候、当時壱岐・対馬の土民の如くになり候はんずるなり、是れ偏に仏法の邪見なるによる仏法の邪見と申すは真言宗と法華宗との違目なり、禅宗と念仏宗とを責め候しは此の事を申し顕さん料なり漢土には善無畏・金剛智・不空三蔵の誑惑の心・天台法華宗を真言の大日経に盗み入れて還つて法華経の肝心と天台大師の徳とを隠せし故に漢土滅するなり、日本国は慈覚大師が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取つて伝教大師の鎮護国家を破せしより叡山に悪義・出来して終に王法尽きにき、此の悪義・鎌倉に下つて又日本国を亡すべし弘法大師の邪義は中中顕然なれば人もたぼらかされぬ者もあり、慈覚大師の法華経・大日経の理同事勝の釈は智人既に許しぬ愚者争でか信ぜざるべき慈覚大師は法華経と大日経との勝劣を祈請せしに箭を以て日を射ると見しは此の事なるべし、是れは慈覚大師の心中に修羅の入つて法華経の大日輪を射るにあらずや、此の法門は当世・叡山其の外日本国の人用ゆべきや、若し此の事・実事ならば日蓮豈須弥山を投る者にあらずや、我が弟子は用ゆべきや如何最後なれば申すなり恨み給べからず、恐恐謹言。
十一月二十日 日 蓮花押
曾谷入道殿
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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曾谷入道殿御書 | 53 | 身延 |
日蓮大聖人御書
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曾谷入道殿御書
曾谷入道殿御書 文永十一年 五十三歳御作
於身延
自界叛逆難・他方侵逼の難既に合い候い畢んぬ、之を以て思うに「多く他方の怨賊有つて国内を侵掠し人民諸の苦悩を受け土地に所楽の処有ること無けん」と申す経文合い候いぬと覚え候、当時壱岐・対馬の土民の如くになり候はんずるなり、是れ偏に仏法の邪見なるによる仏法の邪見と申すは真言宗と法華宗との違目なり、禅宗と念仏宗とを責め候しは此の事を申し顕さん料なり漢土には善無畏・金剛智・不空三蔵の誑惑の心・天台法華宗を真言の大日経に盗み入れて還つて法華経の肝心と天台大師の徳とを隠せし故に漢土滅するなり、日本国は慈覚大師が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取つて伝教大師の鎮護国家を破せしより叡山に悪義・出来して終に王法尽きにき、此の悪義・鎌倉に下つて又日本国を亡すべし弘法大師の邪義は中中顕然なれば人もたぼらかされぬ者もあり、慈覚大師の法華経・大日経の理同事勝の釈は智人既に許しぬ愚者争でか信ぜざるべき慈覚大師は法華経と大日経との勝劣を祈請せしに箭を以て日を射ると見しは此の事なるべし、是れは慈覚大師の心中に修羅の入つて法華経の大日輪を射るにあらずや、此の法門は当世・叡山其の外日本国の人用ゆべきや、若し此の事・実事ならば日蓮豈須弥山を投る者にあらずや、我が弟子は用ゆべきや如何最後なれば申すなり恨み給べからず、恐恐謹言。
十一月二十日 日 蓮花押
曾谷入道殿
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