御書本文

秋元殿御返事 秋元御書
1,071ページ

得ん、是の師に随順して学ばば恒沙の仏を見奉る事を得ん」との金言違ふべきや、提婆品に云ふ「所生の処常に此の経を聞く」の人はあに貴辺にあらずや、其の故は次上に「未来世中・若有善男子・善女人」と見えたり、善男子とは法華経を持つ俗の事なり弥信心をいたし給うべし、信心をいたし給うべし、恐恐謹言。
 正月十一日 日 蓮花押
 秋元殿御返事 安房の国ほたより出す

秋元御書

 秋 元 御 書 弘安三年一月 五十九歳御作
 於身延
 筒御器一具付三十並に盞付六十送り給び候い畢んぬ、御器と申すは・うつはものと読み候、大地くぼければ水たまる青天浄ければ月澄めり、月出でぬれば水浄し雨降れば草木昌へたり、器は大地のくぼきが如し水たまるは池に水の入るが如し、月の影を浮ぶるは法華経の我等が身に入らせ給うが如し、器に四の失あり・一には覆と申してうつぶけるなり・又はくつがへす又は蓋をおほふなり、二には漏と申して水もるなり、三には汙と申して・けがれたるなり水浄けれども糞の入りたる器の水をば用ゆる事なし、四には雑なり・飯に或は糞或は石或は沙或は土なんどを雑へぬれば人食ふ事なし、器は我等が身心を表す、我等が心は器の如し口も器・耳も器なり、法華経と申すは仏の智慧の法水を我等が心に入れぬれば・或は打ち返し・或は耳に聞かじと左右の手を二つの耳に覆ひ・或は口に唱へじと吐き出しぬ、譬えば器を覆するが如し、或は少し信ずる様なれども又悪縁に値うて信心うすくなり或は打ち捨て或は信ずる日はあれども捨つる月もあり是は水の漏が如し、或は法華経を行ずる人の一口は

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
秋元殿御返事 50   安房
秋元御書 59   身延

日蓮大聖人御書

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秋元殿御返事 秋元御書 1,071ページ

得ん、是の師に随順して学ばば恒沙の仏を見奉る事を得ん」との金言違ふべきや、提婆品に云ふ「所生の処常に此の経を聞く」の人はあに貴辺にあらずや、其の故は次上に「未来世中・若有善男子・善女人」と見えたり、善男子とは法華経を持つ俗の事なり弥信心をいたし給うべし、信心をいたし給うべし、恐恐謹言。
 正月十一日 日 蓮花押
 秋元殿御返事 安房の国ほたより出す

秋元御書

 秋 元 御 書 弘安三年一月 五十九歳御作
 於身延
 筒御器一具付三十並に盞付六十送り給び候い畢んぬ、御器と申すは・うつはものと読み候、大地くぼければ水たまる青天浄ければ月澄めり、月出でぬれば水浄し雨降れば草木昌へたり、器は大地のくぼきが如し水たまるは池に水の入るが如し、月の影を浮ぶるは法華経の我等が身に入らせ給うが如し、器に四の失あり・一には覆と申してうつぶけるなり・又はくつがへす又は蓋をおほふなり、二には漏と申して水もるなり、三には汙と申して・けがれたるなり水浄けれども糞の入りたる器の水をば用ゆる事なし、四には雑なり・飯に或は糞或は石或は沙或は土なんどを雑へぬれば人食ふ事なし、器は我等が身心を表す、我等が心は器の如し口も器・耳も器なり、法華経と申すは仏の智慧の法水を我等が心に入れぬれば・或は打ち返し・或は耳に聞かじと左右の手を二つの耳に覆ひ・或は口に唱へじと吐き出しぬ、譬えば器を覆するが如し、或は少し信ずる様なれども又悪縁に値うて信心うすくなり或は打ち捨て或は信ずる日はあれども捨つる月もあり是は水の漏が如し、或は法華経を行ずる人の一口は


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