御書本文
となりし事は・いかに人の上とをぼすか当時も・かのうてに向かいたる人人のなげき老たるをやをさなき子わかき妻めづらしかりしすみかうちすてて・よしなき海をまほり雲の・みうればはたかと疑い・つりぶねの・みゆれば兵船かと肝心をけす、日に一二度山えのぼり夜に三四度馬にくらををく、現身に修羅道をかんぜり、各各のせめられさせ給う事も詮ずるところは国主の法華経の・かたきと・なれるゆへなり、国主のかたきと・なる事は持斎等・念仏真言師等が謗法よりをこれり、今度ねうじくらして法華経の御利生心みさせ給へ、日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり、いよいよ・をづる心ねすがた・をはすべからず、定んで女人は心よはく・をはすれば・ごぜたちは心ひるがへりてや・をはすらん、がうじやうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ、わだが子となりしもの・わかさのかみが子となりし・将門・貞当(任)が郎従等となりし者、仏になる道には・あらねども・はぢを・をもへば命をしまぬ習いなり、なにと・なくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人に・わらはれさせ給うなよ。
あまりに・をぼつかなく候へば・大事のものがたり一つ申す、白ひ叔せいと申せし者は胡竹国の王の二人の太子なり、父の王・弟の叔せいに位をゆづり給いき、父しして後・叔せい位につかざりき、白ひが云く位につき給え叔せいが云く兄位を継ぎ給え白ひが云くいかに親の遺言をばたがへ給うぞと申せしかば親の遺言はさる事なれどもいかんが兄を・をきては位には即くべきと辞退せしかば、二人共に父母の国をすてて他国へわたりぬ、周の文王に・つかへしほどに文王殷の紂王に打たれしかば武王・百箇日が内に・いくさを・をこしき、白ひ叔せいは武王の馬の口に・とりつきて・いさめて云くをやのしして後・三箇年が内にいくさを・をこすはあに不孝にあらずや、武王いかりて白ひ叔せいを打たんと・せしかば大公望せいして打たせざりき、二人は此の王をうとみて・すやうと申す山にかくれゐてわらびを・をりて命を・つぎしかば、麻子と申す者ゆきあひて云くいかに・これには・をはするぞ二人
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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兄弟抄 | 54 | 池上兄弟 | 身延 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
兄弟抄 1,084ページ
となりし事は・いかに人の上とをぼすか当時も・かのうてに向かいたる人人のなげき老たるをやをさなき子わかき妻めづらしかりしすみかうちすてて・よしなき海をまほり雲の・みうればはたかと疑い・つりぶねの・みゆれば兵船かと肝心をけす、日に一二度山えのぼり夜に三四度馬にくらををく、現身に修羅道をかんぜり、各各のせめられさせ給う事も詮ずるところは国主の法華経の・かたきと・なれるゆへなり、国主のかたきと・なる事は持斎等・念仏真言師等が謗法よりをこれり、今度ねうじくらして法華経の御利生心みさせ給へ、日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり、いよいよ・をづる心ねすがた・をはすべからず、定んで女人は心よはく・をはすれば・ごぜたちは心ひるがへりてや・をはすらん、がうじやうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ、わだが子となりしもの・わかさのかみが子となりし・将門・貞当(任)が郎従等となりし者、仏になる道には・あらねども・はぢを・をもへば命をしまぬ習いなり、なにと・なくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人に・わらはれさせ給うなよ。
あまりに・をぼつかなく候へば・大事のものがたり一つ申す、白ひ叔せいと申せし者は胡竹国の王の二人の太子なり、父の王・弟の叔せいに位をゆづり給いき、父しして後・叔せい位につかざりき、白ひが云く位につき給え叔せいが云く兄位を継ぎ給え白ひが云くいかに親の遺言をばたがへ給うぞと申せしかば親の遺言はさる事なれどもいかんが兄を・をきては位には即くべきと辞退せしかば、二人共に父母の国をすてて他国へわたりぬ、周の文王に・つかへしほどに文王殷の紂王に打たれしかば武王・百箇日が内に・いくさを・をこしき、白ひ叔せいは武王の馬の口に・とりつきて・いさめて云くをやのしして後・三箇年が内にいくさを・をこすはあに不孝にあらずや、武王いかりて白ひ叔せいを打たんと・せしかば大公望せいして打たせざりき、二人は此の王をうとみて・すやうと申す山にかくれゐてわらびを・をりて命を・つぎしかば、麻子と申す者ゆきあひて云くいかに・これには・をはするぞ二人
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