御書本文

兄弟抄 兵衛志殿御返事
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る人人かずをしらず、其の中に返つて本より謗ずる人人よりも強盛にそしる人人又あまたあり、在世にも善星比丘等は始は信じてありしかども後にすつるのみならず返つて仏をばうじ奉りしゆへに仏も叶い給はず無間地獄にをちにき、此の御文は別してひやうへの志殿へまいらせ候、又太夫志殿の女房兵衛志殿の女房によくよく申しきかせさせ給うべし・きかせさせ給うべし・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。
 文永十二年四月十六日 日 蓮 花押

兵衛志殿御返事

 兵衛志殿御返事 建治元年八月 五十四歳御作
 於身延
 鵞目二貫文・武蔵房円日を使にて給び候い畢んぬ、人王三十六代・皇極天皇と申せし王は女人にてをはしき、其の時入鹿の臣と申す者あり、あまり・おごりの・ものぐるわしさに王位を・うばはんと・ふるまいしを、天皇王子等不思議とはをぼせしかども・いかにも力及ばざりしほどに、大兄の王子・軽の王子等なげかせ給いて中臣の鎌子と申せし臣に申しあわせさせ給いしかば、臣申さく・いかにも人力はかなうべしとは・みへ候はず、馬子が例をひきて教主釈尊の御力ならずば叶がたしと申せしかば・さらばとて釈尊を造り奉りて・いのりしかば入鹿ほどなく打れにき、此の中臣の鎌子と申す人は後には姓をかへて藤原の鎌足と申し内大臣になり大職冠と申す人・今の一の人の御先祖なり、此の釈迦仏は今の興福寺の本尊なり、されば王の王たるも釈迦仏・臣の臣たるも釈迦仏・神国の仏国となりし事えもんのたいう殿の御文と引き合せて心へさせ給へ、今代の他国にうばわれんとする事・釈尊を・いるかせにする故なり神の力も及ぶべからずと申すはこれなり、各各は二人は・すでにとこそ人はみしかども・かくいみじくみへさせ給うは・ひとえに釈迦仏・法華経の御力なりと・をぼすらむ、又此れにもをもひ候、後生のた

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
兄弟抄 54 池上兄弟 身延
兵衛志殿御返事 54   身延

日蓮大聖人御書

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兄弟抄 兵衛志殿御返事 1,089ページ

る人人かずをしらず、其の中に返つて本より謗ずる人人よりも強盛にそしる人人又あまたあり、在世にも善星比丘等は始は信じてありしかども後にすつるのみならず返つて仏をばうじ奉りしゆへに仏も叶い給はず無間地獄にをちにき、此の御文は別してひやうへの志殿へまいらせ候、又太夫志殿の女房兵衛志殿の女房によくよく申しきかせさせ給うべし・きかせさせ給うべし・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。
 文永十二年四月十六日 日 蓮 花押

兵衛志殿御返事

 兵衛志殿御返事 建治元年八月 五十四歳御作
 於身延
 鵞目二貫文・武蔵房円日を使にて給び候い畢んぬ、人王三十六代・皇極天皇と申せし王は女人にてをはしき、其の時入鹿の臣と申す者あり、あまり・おごりの・ものぐるわしさに王位を・うばはんと・ふるまいしを、天皇王子等不思議とはをぼせしかども・いかにも力及ばざりしほどに、大兄の王子・軽の王子等なげかせ給いて中臣の鎌子と申せし臣に申しあわせさせ給いしかば、臣申さく・いかにも人力はかなうべしとは・みへ候はず、馬子が例をひきて教主釈尊の御力ならずば叶がたしと申せしかば・さらばとて釈尊を造り奉りて・いのりしかば入鹿ほどなく打れにき、此の中臣の鎌子と申す人は後には姓をかへて藤原の鎌足と申し内大臣になり大職冠と申す人・今の一の人の御先祖なり、此の釈迦仏は今の興福寺の本尊なり、されば王の王たるも釈迦仏・臣の臣たるも釈迦仏・神国の仏国となりし事えもんのたいう殿の御文と引き合せて心へさせ給へ、今代の他国にうばわれんとする事・釈尊を・いるかせにする故なり神の力も及ぶべからずと申すはこれなり、各各は二人は・すでにとこそ人はみしかども・かくいみじくみへさせ給うは・ひとえに釈迦仏・法華経の御力なりと・をぼすらむ、又此れにもをもひ候、後生のた


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