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大夫志殿御返事
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大夫志殿御返事

 大夫志殿御返事 弘安三年 五十九歳御作

 小袖一つ直垂三具・同じく腰三具等云云、小袖は七貫・直垂並びに腰は十貫・已上十七貫文に当れり、夫れ以れば天台大師の御位を章安大師顕して云く「止観の第一に序文を引いて云く安禅として化す、位五品に居したまえり、故に経に云く四百万億那由佗の国の人に施すに一一に皆七宝を与え又化して六通を得しむるすら初随喜の人に如ざること百千万倍せり況や五品をや、文に云く即如来の使なり如来の所遣として如来の事を行ず」等云云、伝教大師天台大師を釈して云く「今吾が天台大師は法華経を説き法華経を釈し群に特秀し唐に独歩す」云云、又云く「明かに知んぬ如来の使なり讃むる者は福を安明に積み謗る者は罪を無間に開く」と云云、如来は且らく之を置く、滅後一日より正像末二千二百余年の間・仏の御使二十七人なり、所謂第一は大迦葉・第二は阿難・第三は末田地・第四は商那和修・第五は毱多・第六は提多迦・第七は弥遮迦・第八は仏駄難提・第九は仏駄密多・第十は脇比丘・第十一は富那奢・第十二は馬鳴・第十三は毘羅・第十四は竜樹・第十五は提婆・第十六は羅睺・第十七は僧佉難提・第十八は僧佉耶奢・第十九は鳩摩羅駄・第二十は闍夜那・第二十一は盤駄・第二十二は摩奴羅・第二十三は鶴勒夜奢・第二十四は師子尊者、此の二十四人は金口の記する所の付法蔵経に載す、但し小乗・権大乗経の御使なりいまだ法華経の御使にはあらず、三論宗の云く「道朗吉蔵は仏の使なり」法相宗の云く「玄奘慈恩は仏の使なり」華厳宗の云く「法蔵・澄観は仏の使なり」真言宗の云く「善無畏・金剛智・不空・慧果・弘法等は仏の使なり」。
 日蓮之を勘えて云く全く仏の使に非ず全く大小乗の使にも非ず、之を供養せば災を招き之を謗ぜば福を至さん、問う汝の自義か答えて云く設い自義為りと雖も有文有義ならば何の科あらん、然りと雖も釈有り伝教大師云

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
大夫志殿御返事 59   身延

日蓮大聖人御書

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大夫志殿御返事

 大夫志殿御返事 弘安三年 五十九歳御作

 小袖一つ直垂三具・同じく腰三具等云云、小袖は七貫・直垂並びに腰は十貫・已上十七貫文に当れり、夫れ以れば天台大師の御位を章安大師顕して云く「止観の第一に序文を引いて云く安禅として化す、位五品に居したまえり、故に経に云く四百万億那由佗の国の人に施すに一一に皆七宝を与え又化して六通を得しむるすら初随喜の人に如ざること百千万倍せり況や五品をや、文に云く即如来の使なり如来の所遣として如来の事を行ず」等云云、伝教大師天台大師を釈して云く「今吾が天台大師は法華経を説き法華経を釈し群に特秀し唐に独歩す」云云、又云く「明かに知んぬ如来の使なり讃むる者は福を安明に積み謗る者は罪を無間に開く」と云云、如来は且らく之を置く、滅後一日より正像末二千二百余年の間・仏の御使二十七人なり、所謂第一は大迦葉・第二は阿難・第三は末田地・第四は商那和修・第五は毱多・第六は提多迦・第七は弥遮迦・第八は仏駄難提・第九は仏駄密多・第十は脇比丘・第十一は富那奢・第十二は馬鳴・第十三は毘羅・第十四は竜樹・第十五は提婆・第十六は羅睺・第十七は僧佉難提・第十八は僧佉耶奢・第十九は鳩摩羅駄・第二十は闍夜那・第二十一は盤駄・第二十二は摩奴羅・第二十三は鶴勒夜奢・第二十四は師子尊者、此の二十四人は金口の記する所の付法蔵経に載す、但し小乗・権大乗経の御使なりいまだ法華経の御使にはあらず、三論宗の云く「道朗吉蔵は仏の使なり」法相宗の云く「玄奘慈恩は仏の使なり」華厳宗の云く「法蔵・澄観は仏の使なり」真言宗の云く「善無畏・金剛智・不空・慧果・弘法等は仏の使なり」。
 日蓮之を勘えて云く全く仏の使に非ず全く大小乗の使にも非ず、之を供養せば災を招き之を謗ぜば福を至さん、問う汝の自義か答えて云く設い自義為りと雖も有文有義ならば何の科あらん、然りと雖も釈有り伝教大師云


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