御書本文
かるに当世・日本国第一の科是なり、勝を以て劣と思い劣を以て勝と思うの故に大蒙古国を調伏する時・還つて襲われんと欲す是なり。
華厳宗と申すは法蔵法師が所立の宗なり、則天皇后の御帰依ありしによりて諸宗・肩をならべがたかりき、しかれば王の威勢によりて宗の勝劣はありけり法に依つて勝劣なきやうなり。
たとひ深義を得たる論師・人師なりといふとも王法には勝がたきゆへに・たまたま勝んとせし仁は大難にあへり、所謂師子尊者は檀弥羅王のために頸を刎ねらる、提婆菩薩は外道のために殺害せらる、竺の道生は蘇山に流され法道三蔵は面に火印をされて江南に放たれたり、而るに日蓮は法華経の行者にもあらず又僧侶の数にもいらず。
然り而して世の人に随て阿弥陀仏の名号を持ちしほどに阿弥陀仏の化身とひびかせ給う善導和尚の云く「十即十生・百即百生・乃至千中無一」と、勢至菩薩の化身とあをがれ給う法然上人此の釈を料簡して云く「末代に念仏の外の法華経等を雑ふる念仏においては千中無一・一向に念仏せば十即十生」と云云、日本国の有智・無智仰いで此の義を信じて今に五十余年・一人も疑を加へず、唯日蓮の諸人にかはる所は阿弥陀仏の本願には「唯五逆と誹謗正法とを除く」とちかひ、法華経には「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ず、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と説かれたり、此れ善導・法然・謗法の者なれば・たのむところの阿弥陀仏にすてられをはんぬ、余仏・余経においては我と抛ちぬる上は救い給うべきに及ばず、法華経の文の如きは無間地獄・疑なしと云云、而るを日本国は・をしなべて彼等が弟子たるあひだ此の大難まぬかれがたし。
無尽の秘計をめぐらして日蓮をあだむ是なり先先の諸難はさておき候いぬ、去年九月十二日・御勘気をかほりて其の夜のうちに頭をはねらるべきにて・ありしが・いかなる事にやよりけん彼の夜は延びて此の国に来りていままで候に世間にも・すてられ仏法にも・すてられ天も・とぶらはれず二途にかけたるすてものなり、而るを何なる
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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四条金吾殿御返事 | 51 | 佐渡 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
四条金吾殿御返事 1,120ページ
かるに当世・日本国第一の科是なり、勝を以て劣と思い劣を以て勝と思うの故に大蒙古国を調伏する時・還つて襲われんと欲す是なり。
華厳宗と申すは法蔵法師が所立の宗なり、則天皇后の御帰依ありしによりて諸宗・肩をならべがたかりき、しかれば王の威勢によりて宗の勝劣はありけり法に依つて勝劣なきやうなり。
たとひ深義を得たる論師・人師なりといふとも王法には勝がたきゆへに・たまたま勝んとせし仁は大難にあへり、所謂師子尊者は檀弥羅王のために頸を刎ねらる、提婆菩薩は外道のために殺害せらる、竺の道生は蘇山に流され法道三蔵は面に火印をされて江南に放たれたり、而るに日蓮は法華経の行者にもあらず又僧侶の数にもいらず。
然り而して世の人に随て阿弥陀仏の名号を持ちしほどに阿弥陀仏の化身とひびかせ給う善導和尚の云く「十即十生・百即百生・乃至千中無一」と、勢至菩薩の化身とあをがれ給う法然上人此の釈を料簡して云く「末代に念仏の外の法華経等を雑ふる念仏においては千中無一・一向に念仏せば十即十生」と云云、日本国の有智・無智仰いで此の義を信じて今に五十余年・一人も疑を加へず、唯日蓮の諸人にかはる所は阿弥陀仏の本願には「唯五逆と誹謗正法とを除く」とちかひ、法華経には「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ず、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と説かれたり、此れ善導・法然・謗法の者なれば・たのむところの阿弥陀仏にすてられをはんぬ、余仏・余経においては我と抛ちぬる上は救い給うべきに及ばず、法華経の文の如きは無間地獄・疑なしと云云、而るを日本国は・をしなべて彼等が弟子たるあひだ此の大難まぬかれがたし。
無尽の秘計をめぐらして日蓮をあだむ是なり先先の諸難はさておき候いぬ、去年九月十二日・御勘気をかほりて其の夜のうちに頭をはねらるべきにて・ありしが・いかなる事にやよりけん彼の夜は延びて此の国に来りていままで候に世間にも・すてられ仏法にも・すてられ天も・とぶらはれず二途にかけたるすてものなり、而るを何なる
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