御書本文

四条金吾殿御返事 四条金吾殿御返事
1,193ページ

りも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候、恐恐謹言。
 十月二十三日 日 蓮花押
 四条金吾殿御返事

四条金吾殿御返事

 四条金吾殿御返事 弘安三年十月 五十九歳御作

 殿岡より米送り給び候、今年七月・盂蘭盆供の僧膳にして候、自恣の僧・霊山の聴衆・仏陀・神明も納受随喜し給うらん、尽きせぬ志・連連の御訪い言を以て尽くしがたし。
 何となくとも殿の事は後生菩提疑なし、何事よりも文永八年の御勘気の時・既に相模の国・竜の口にて頸切られんとせし時にも殿は馬の口に付いて足歩赤足にて泣き悲み給いし事実にならば腹きらんとの気色なりしをば・いつの世にか思い忘るべき、それのみならず佐渡の島に放たれ北海の雪の下に埋もれ北山の嶺の山下風に命助かるべしともをぼへず、年来の同朋にも捨てられ故郷へ帰らん事は大海の底のちびきの石の思ひしてさすがに凡夫なれば古郷の人人も恋しきに在俗の官仕隙なき身に此の経を信ずる事こそ稀有なるに山河を凌ぎ蒼海を経て遙に尋ね来り給いし志・香城に骨を砕き雪嶺に身を投げし人人にも争でか劣り給うべき、又我が身はこれ程に浮び難かりしが・いかなりける事にてや同十一年の春の比・赦免せられて鎌倉に帰り上りけむ、倩事の情を案ずるに今は我身に過あらじ、或は命に及ばんとし弘長には伊豆の国・文永には佐渡の島・諫暁再三に及べば留難重畳せり、仏法中怨の誡責をも身には・はや免れぬらん。

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
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りも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候、恐恐謹言。
 十月二十三日 日 蓮花押
 四条金吾殿御返事

四条金吾殿御返事

 四条金吾殿御返事 弘安三年十月 五十九歳御作

 殿岡より米送り給び候、今年七月・盂蘭盆供の僧膳にして候、自恣の僧・霊山の聴衆・仏陀・神明も納受随喜し給うらん、尽きせぬ志・連連の御訪い言を以て尽くしがたし。
 何となくとも殿の事は後生菩提疑なし、何事よりも文永八年の御勘気の時・既に相模の国・竜の口にて頸切られんとせし時にも殿は馬の口に付いて足歩赤足にて泣き悲み給いし事実にならば腹きらんとの気色なりしをば・いつの世にか思い忘るべき、それのみならず佐渡の島に放たれ北海の雪の下に埋もれ北山の嶺の山下風に命助かるべしともをぼへず、年来の同朋にも捨てられ故郷へ帰らん事は大海の底のちびきの石の思ひしてさすがに凡夫なれば古郷の人人も恋しきに在俗の官仕隙なき身に此の経を信ずる事こそ稀有なるに山河を凌ぎ蒼海を経て遙に尋ね来り給いし志・香城に骨を砕き雪嶺に身を投げし人人にも争でか劣り給うべき、又我が身はこれ程に浮び難かりしが・いかなりける事にてや同十一年の春の比・赦免せられて鎌倉に帰り上りけむ、倩事の情を案ずるに今は我身に過あらじ、或は命に及ばんとし弘長には伊豆の国・文永には佐渡の島・諫暁再三に及べば留難重畳せり、仏法中怨の誡責をも身には・はや免れぬらん。


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