御書本文

月水御書
1,200ページ

とも申すに限りなく候、凡そ一代聖教を披き見て顕密二道を究め給へる様なる智者学匠だにも・近来は法華経を捨て念仏を申し候に何なる御宿善ありてか此の法華経を一偈一句もあそばす御身と生れさせ給いけん。
 されば此の御消息を拝し候へば優曇華を見たる眼よりもめづらしく・一眼の亀の浮木の穴に値へるよりも乏き事かなと・心ばかりは有がたき御事に思いまいらせ候間、一言・一点も随喜の言を加えて善根の余慶にもやと・はげみ候へども只恐らくは雲の月をかくし塵の鏡をくもらすが如く短く拙き言にて殊勝にめでたき御功徳を申し隠しくもらす事にや候らんといたみ思ひ候ばかりなり、然りと云えども貴命もだすべきにあらず一滴を江海に加へ爝火を日月にそへて水をまし光を添ふると思し食すべし、先法華経と申すは八巻・一巻・一品・一偈・一句・乃至・題目を唱ふるも功徳は同じ事と思し食すべし、譬えば大海の水は一滴なれども無量の江河の水を納めたり、如意宝珠は一珠なれども万宝をふらす、百千万億の滴珠も又これ同じ法華経は一字も一の滴珠の如し、乃至万億の字も又万億の滴珠の如し、諸経・諸仏の一字一名号は江河の一滴の水山海の一石の如し、一滴に無量の水を備えず一石に無数の石の徳をそなへもたず、若し然らば此の法華経は何れの品にても御坐しませ只御信用の御坐さん品こそ・めづらしくは候へ。
 総じて如来の聖教は何れも妄語の御坐すとは承り候はねども・再び仏教を勘えたるに如来の金言の中にも大小・権実・顕密なんど申す事・経文より事起りて候、随つて論師・人師の釈義にあらあら見えたり、詮を取つて申さば釈尊の五十余年の諸教の中に先四十余年の説教は猶うたがはしく候ぞかし、仏自ら無量義経に「四十余年未だ真実を顕さず」と申す経文まのあたり説かせ給へる故なり、法華経に於ては仏自ら一句の文字を「正直に方便を捨てて但だ無上道を説く」と定めさせ給いぬ、其の上・多宝仏・大地より涌出でさせ給いて「妙法華経皆是真実」と証明を加へ十方の諸仏・皆法華経の座にあつまりて舌を出して法華経の文字は一字なりとも妄語なるまじきよし

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
月水御書 43 大学三郎妻 鎌倉

日蓮大聖人御書

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月水御書 1,200ページ

とも申すに限りなく候、凡そ一代聖教を披き見て顕密二道を究め給へる様なる智者学匠だにも・近来は法華経を捨て念仏を申し候に何なる御宿善ありてか此の法華経を一偈一句もあそばす御身と生れさせ給いけん。
 されば此の御消息を拝し候へば優曇華を見たる眼よりもめづらしく・一眼の亀の浮木の穴に値へるよりも乏き事かなと・心ばかりは有がたき御事に思いまいらせ候間、一言・一点も随喜の言を加えて善根の余慶にもやと・はげみ候へども只恐らくは雲の月をかくし塵の鏡をくもらすが如く短く拙き言にて殊勝にめでたき御功徳を申し隠しくもらす事にや候らんといたみ思ひ候ばかりなり、然りと云えども貴命もだすべきにあらず一滴を江海に加へ爝火を日月にそへて水をまし光を添ふると思し食すべし、先法華経と申すは八巻・一巻・一品・一偈・一句・乃至・題目を唱ふるも功徳は同じ事と思し食すべし、譬えば大海の水は一滴なれども無量の江河の水を納めたり、如意宝珠は一珠なれども万宝をふらす、百千万億の滴珠も又これ同じ法華経は一字も一の滴珠の如し、乃至万億の字も又万億の滴珠の如し、諸経・諸仏の一字一名号は江河の一滴の水山海の一石の如し、一滴に無量の水を備えず一石に無数の石の徳をそなへもたず、若し然らば此の法華経は何れの品にても御坐しませ只御信用の御坐さん品こそ・めづらしくは候へ。
 総じて如来の聖教は何れも妄語の御坐すとは承り候はねども・再び仏教を勘えたるに如来の金言の中にも大小・権実・顕密なんど申す事・経文より事起りて候、随つて論師・人師の釈義にあらあら見えたり、詮を取つて申さば釈尊の五十余年の諸教の中に先四十余年の説教は猶うたがはしく候ぞかし、仏自ら無量義経に「四十余年未だ真実を顕さず」と申す経文まのあたり説かせ給へる故なり、法華経に於ては仏自ら一句の文字を「正直に方便を捨てて但だ無上道を説く」と定めさせ給いぬ、其の上・多宝仏・大地より涌出でさせ給いて「妙法華経皆是真実」と証明を加へ十方の諸仏・皆法華経の座にあつまりて舌を出して法華経の文字は一字なりとも妄語なるまじきよし


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