御書本文

日妙聖人御書
1,215ページ

あり過去の仏も・たて給いし大梵天王・釈提桓因・日月・四天も証人にたち給うべし、此の鬼神後の偈をとかんと申す、童子身にきたる鹿の皮を・ぬいで座にしき踞跪合掌して此の座につき給へと請ず、大鬼神・此の座について説て云く「生滅滅已・寂滅為楽」等云云、此の偈を習ひ学して若しは木・若しは石等に書き付けて身を大鬼神の口になげいれ給う、彼の童子は今の釈尊・彼の鬼神は今の帝釈なり。
 薬王菩薩は・法華経の御前に臂を七万二千歳が間ともし給い、不軽菩薩は多年が間・二十四字の故に無量無辺の四衆に罵詈・毀辱・杖木・瓦礫・而打擲之せられ給いき、所謂二十四字と申すは「我深く汝等を敬う敢て軽慢せず所以は何ん汝等皆菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし」等云云、かの不軽菩薩は今の教主釈尊なり、昔の須頭檀王は妙法蓮華経の五字の為に千歳が間・阿私仙人にせめつかはれ身を床となさせ給いて今の釈尊となり給う。
 然るに妙法蓮華経は八巻なり・八巻を読めば十六巻を読むなるべし、釈迦・多宝の二仏の経なる故へ、十六巻は無量無辺の巻軸なり、十方の諸仏の証明ある故に一字は二字なり釈迦・多宝の二仏の字なる故へ・一字は無量の字なり十方の諸仏の証明の御経なる故に、譬えば如意宝珠の玉は一珠なれども二珠乃至無量珠の財をふらすこと・これをなじ、法華経の文字は一字は一の宝・無量の字は無量の宝珠なり、妙の一字には二つの舌まします釈迦・多宝の御舌なり、此の二仏の御舌は八葉の蓮華なり、此の重なる蓮華の上に宝珠あり妙の一字なり。
 此妙の珠は昔釈迦如来の檀波羅蜜と申して身をうえたる虎にかひし功徳・鳩にかひし功徳、尸羅波羅蜜と申して須陀摩王として・そらごとせざりし功徳等、忍辱仙人として・歌梨王に身をまかせし功徳、能施太子・尚闍梨仙人等の六度の功徳を妙の一字にをさめ給いて末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども六度万行を満足する功徳をあたへ給う、今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子これなり、我等具縛の凡夫忽に教主釈尊と功徳ひとし彼の

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
日妙聖人御書 51   佐渡

日蓮大聖人御書

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日妙聖人御書 1,215ページ

あり過去の仏も・たて給いし大梵天王・釈提桓因・日月・四天も証人にたち給うべし、此の鬼神後の偈をとかんと申す、童子身にきたる鹿の皮を・ぬいで座にしき踞跪合掌して此の座につき給へと請ず、大鬼神・此の座について説て云く「生滅滅已・寂滅為楽」等云云、此の偈を習ひ学して若しは木・若しは石等に書き付けて身を大鬼神の口になげいれ給う、彼の童子は今の釈尊・彼の鬼神は今の帝釈なり。
 薬王菩薩は・法華経の御前に臂を七万二千歳が間ともし給い、不軽菩薩は多年が間・二十四字の故に無量無辺の四衆に罵詈・毀辱・杖木・瓦礫・而打擲之せられ給いき、所謂二十四字と申すは「我深く汝等を敬う敢て軽慢せず所以は何ん汝等皆菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし」等云云、かの不軽菩薩は今の教主釈尊なり、昔の須頭檀王は妙法蓮華経の五字の為に千歳が間・阿私仙人にせめつかはれ身を床となさせ給いて今の釈尊となり給う。
 然るに妙法蓮華経は八巻なり・八巻を読めば十六巻を読むなるべし、釈迦・多宝の二仏の経なる故へ、十六巻は無量無辺の巻軸なり、十方の諸仏の証明ある故に一字は二字なり釈迦・多宝の二仏の字なる故へ・一字は無量の字なり十方の諸仏の証明の御経なる故に、譬えば如意宝珠の玉は一珠なれども二珠乃至無量珠の財をふらすこと・これをなじ、法華経の文字は一字は一の宝・無量の字は無量の宝珠なり、妙の一字には二つの舌まします釈迦・多宝の御舌なり、此の二仏の御舌は八葉の蓮華なり、此の重なる蓮華の上に宝珠あり妙の一字なり。
 此妙の珠は昔釈迦如来の檀波羅蜜と申して身をうえたる虎にかひし功徳・鳩にかひし功徳、尸羅波羅蜜と申して須陀摩王として・そらごとせざりし功徳等、忍辱仙人として・歌梨王に身をまかせし功徳、能施太子・尚闍梨仙人等の六度の功徳を妙の一字にをさめ給いて末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども六度万行を満足する功徳をあたへ給う、今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子これなり、我等具縛の凡夫忽に教主釈尊と功徳ひとし彼の


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