御書本文
次でに天台宗の玄義・文句・円頓止観・浄名疏等を渡す、然れども真言宗と法華宗との二宗をば・いまだ弘め給はず、人王第五十代・桓武天皇の御代に最澄と申す小僧あり後には伝教大師と号す、此の人入唐已前に真言宗と天台宗の二宗の章疏を十五年が間・但一人見置き給いき、後に延暦二十三年七月に漢土に渡り・かへる年の六月に本朝に著かせ給いて、天台・真言の二宗を七大寺の碩学数十人に授けさせ給いき、其の後于今四百年なり、総じて日本国に仏法渡りて于今七百余年なり、或は弥陀の名号或は大日の名号・或は釈迦の名号等をば一切衆生に勧め給へる人人はおはすれども、いまだ法華経の題目・南無妙法蓮華経と唱へよと勧めたる人なし、日本国に限らず月氏等にも仏滅後一千年の間・迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親等の大論師・仏法を五天竺に弘通せしかども・漢土に仏法渡りて数百年の間・摩騰迦・竺法蘭・羅什三蔵・南岳・天台・妙楽等・或は疏を作り或は経を釈せしかども・いまだ法華経の題目をば弥陀の名号の如く勧められず、唯自身一人計り唱へ・或は経を講ずる時・講師計り唱る事あり、然るに八宗・九宗等其の義まちまちなれども・多分は弥陀の名号・次には観音の名号・次には釈迦仏の名号・次には大日・薬師等の名号をば・唱へ給へる高祖・先徳等はおはすれども・何なる故有りてか一代諸教の肝心たる法華経の題目をば唱へざりけん、其の故を能く能く尋ね習い給ふべし、譬えば大医の一切の病の根源・薬の浅深は弁へたれども・故なく大事の薬をつかふ事なく病に随ふが如し。
されば仏の滅後正像二千年の間は煩悩の病・軽かりければ一代第一の良薬の妙法蓮華経の五字をば勧めざりけるか、今末法に入りぬ人毎に重病有り阿弥陀・大日・釈迦等の軽薬にては治し難し、又月はいみじけれども秋にあらざれば光を惜む・花は目出けれども春にあらざればさかず、一切・時による事なり、されば正像二千年の間は題目の流布の時に当らざるか、又仏教を弘るは仏の御使なり・随つて仏の弟子の譲りを得る事各別なり、正法千年に出でし論師・像法千年に出づる人師等は・多くは小乗・権大乗・法華経の或は迹門・或は枝葉を譲られし人人なり、
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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妙密上人御消息 | 55 | 楅谷妙密 | 身延 |
日蓮大聖人御書
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妙密上人御消息 1,238ページ
次でに天台宗の玄義・文句・円頓止観・浄名疏等を渡す、然れども真言宗と法華宗との二宗をば・いまだ弘め給はず、人王第五十代・桓武天皇の御代に最澄と申す小僧あり後には伝教大師と号す、此の人入唐已前に真言宗と天台宗の二宗の章疏を十五年が間・但一人見置き給いき、後に延暦二十三年七月に漢土に渡り・かへる年の六月に本朝に著かせ給いて、天台・真言の二宗を七大寺の碩学数十人に授けさせ給いき、其の後于今四百年なり、総じて日本国に仏法渡りて于今七百余年なり、或は弥陀の名号或は大日の名号・或は釈迦の名号等をば一切衆生に勧め給へる人人はおはすれども、いまだ法華経の題目・南無妙法蓮華経と唱へよと勧めたる人なし、日本国に限らず月氏等にも仏滅後一千年の間・迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親等の大論師・仏法を五天竺に弘通せしかども・漢土に仏法渡りて数百年の間・摩騰迦・竺法蘭・羅什三蔵・南岳・天台・妙楽等・或は疏を作り或は経を釈せしかども・いまだ法華経の題目をば弥陀の名号の如く勧められず、唯自身一人計り唱へ・或は経を講ずる時・講師計り唱る事あり、然るに八宗・九宗等其の義まちまちなれども・多分は弥陀の名号・次には観音の名号・次には釈迦仏の名号・次には大日・薬師等の名号をば・唱へ給へる高祖・先徳等はおはすれども・何なる故有りてか一代諸教の肝心たる法華経の題目をば唱へざりけん、其の故を能く能く尋ね習い給ふべし、譬えば大医の一切の病の根源・薬の浅深は弁へたれども・故なく大事の薬をつかふ事なく病に随ふが如し。
されば仏の滅後正像二千年の間は煩悩の病・軽かりければ一代第一の良薬の妙法蓮華経の五字をば勧めざりけるか、今末法に入りぬ人毎に重病有り阿弥陀・大日・釈迦等の軽薬にては治し難し、又月はいみじけれども秋にあらざれば光を惜む・花は目出けれども春にあらざればさかず、一切・時による事なり、されば正像二千年の間は題目の流布の時に当らざるか、又仏教を弘るは仏の御使なり・随つて仏の弟子の譲りを得る事各別なり、正法千年に出でし論師・像法千年に出づる人師等は・多くは小乗・権大乗・法華経の或は迹門・或は枝葉を譲られし人人なり、
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