御書本文

法華真言勝劣事
125ページ

を以て之を思うに義釈には大日経に於て二乗作仏・久遠実成を存すと雖も実には之無きか如何、答えて云く華厳経の如く相似の文之有りと雖も実義之無きか、私に云く二乗作仏無くば四弘誓願満足す可からず、四弘誓願満ぜずんば又別願も満ず可からず、総別の二願満ぜずんば衆生の成仏も有り難きか能く能く意得可し云云。
 問うて云く大日経の疏に云く大日如来は無始無終なり遙に五百塵点に勝れたりと如何、答う毘盧遮那の無始無終なる事華厳・浄名・般若等の諸大乗経に之を説く独り大日経のみに非ず、問うて云く若し爾らば五百塵点は際限有れば有始有終なり無始無終は際限無し、然れば則ち法華経は諸経に破せらるるか如何、答えて云く他宗の人は此の義を存す天台一家に於て此の難を会通する者有り難きか、今大日経並に諸大乗経の無始無終は法身の無始無終なり三身の無始無終に非ず、法華経の五百塵点は諸大乗経の破せざる伽耶の始成之を破りたる五百塵点なり、大日経等の諸大乗経には全く此の義無し、宝塔の涌現・地涌の涌出・弥勒の疑・寿量品の初の三誡四請・弥勒菩薩・領解の文に「仏希有の法を説きたもう昔より未だ曾つて聞かざる所なり」等の文是なり、大日経六巻並に供養法の巻・金剛頂経・蘇悉地経等の諸の真言部の経の中に未だ三止四請・三誡四請・二乗の劫国名号・難信難解等の文を見ず。
 問うて云く五乗の真言如何、答う未だ二乗の真言を知らず四諦・十二因縁の梵語のみ有るなり、又法身平等に会すること有らんや。
 問うて云く慈覚・智証等・理同事勝の義を存す争か此等の大師等に過ぎんや、答えて云く人を以て人を難ずるは仏の誡なり何ぞ汝・仏の制誡に違背するや但経文を以て勝劣の義を存す可し、難じて云く末学の身として祖師の言に背かば之を難ぜざらんや、答う末学の祖師に違する之を難ぜば何ぞ智証慈覚の天台・妙楽に違するを何ぞ之を難ぜざるや、問うて云く相違如何、答えて云く天台妙楽の意は已今当の三説の中に法華経に勝れたる経之れ有

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
法華真言勝劣事 43   鎌倉

日蓮大聖人御書

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法華真言勝劣事 125ページ

を以て之を思うに義釈には大日経に於て二乗作仏・久遠実成を存すと雖も実には之無きか如何、答えて云く華厳経の如く相似の文之有りと雖も実義之無きか、私に云く二乗作仏無くば四弘誓願満足す可からず、四弘誓願満ぜずんば又別願も満ず可からず、総別の二願満ぜずんば衆生の成仏も有り難きか能く能く意得可し云云。
 問うて云く大日経の疏に云く大日如来は無始無終なり遙に五百塵点に勝れたりと如何、答う毘盧遮那の無始無終なる事華厳・浄名・般若等の諸大乗経に之を説く独り大日経のみに非ず、問うて云く若し爾らば五百塵点は際限有れば有始有終なり無始無終は際限無し、然れば則ち法華経は諸経に破せらるるか如何、答えて云く他宗の人は此の義を存す天台一家に於て此の難を会通する者有り難きか、今大日経並に諸大乗経の無始無終は法身の無始無終なり三身の無始無終に非ず、法華経の五百塵点は諸大乗経の破せざる伽耶の始成之を破りたる五百塵点なり、大日経等の諸大乗経には全く此の義無し、宝塔の涌現・地涌の涌出・弥勒の疑・寿量品の初の三誡四請・弥勒菩薩・領解の文に「仏希有の法を説きたもう昔より未だ曾つて聞かざる所なり」等の文是なり、大日経六巻並に供養法の巻・金剛頂経・蘇悉地経等の諸の真言部の経の中に未だ三止四請・三誡四請・二乗の劫国名号・難信難解等の文を見ず。
 問うて云く五乗の真言如何、答う未だ二乗の真言を知らず四諦・十二因縁の梵語のみ有るなり、又法身平等に会すること有らんや。
 問うて云く慈覚・智証等・理同事勝の義を存す争か此等の大師等に過ぎんや、答えて云く人を以て人を難ずるは仏の誡なり何ぞ汝・仏の制誡に違背するや但経文を以て勝劣の義を存す可し、難じて云く末学の身として祖師の言に背かば之を難ぜざらんや、答う末学の祖師に違する之を難ぜば何ぞ智証慈覚の天台・妙楽に違するを何ぞ之を難ぜざるや、問うて云く相違如何、答えて云く天台妙楽の意は已今当の三説の中に法華経に勝れたる経之れ有


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