御書本文
土宗・禅宗をきく・其の後叡山・薗城・高野・京中・田舎等処処に修行して自他宗の法門をならひしかども・我が身の不審はれがたき上・本よりの願に諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからず・いづれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし・論師・訳者・人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん、又法門によりては設い王のせめなりとも・はばかるべからず・何に況や其の已下の人をや、父母・師兄等の教訓なりとも用ゆべからず、人の信不信はしらず・ありのままに申すべしと誓状を立てしゆへに・三論宗の嘉祥・華厳宗の澄観・法相宗の慈恩等をば天台・妙楽・伝教等は無間地獄とせめたれども・真言宗の善無畏三蔵・弘法大師・慈覚・智証等の僻見は・いまだ・せむる人なし、善無畏・不空等の真言宗をすてて天台による事は妙楽大師の記の十の後序並に伝教大師の依憑集にのせられたれども・いまだ・くはしからざればにや慈覚・智証の謬悞は出来せるかと強盛にせむるなり。
かく申す程に年卅二・建長五年の春の比より念仏宗と禅宗と等をせめはじめて後に真言宗等をせむるほどに・念仏者等始にはあなづる、日蓮いかに・かしこくとも明円房・公胤僧上・顕真座主等には・すぐべからず、彼の人人だにもはじめは法然上人をなんぜしが後にみな堕ちて或は上人の弟子となり或は門家となる、日蓮は・かれがごとし我つめん我つめんとはやりし程に、いにしへの人人は但法然をなんじて善導・道綽等をせめず、又経の権実を・いわざりしかばこそ念仏者はをごりけれ、今日蓮は善導・法然等をば無間地獄につきをとして専ら浄土の三部経を法華経に・をしあはせて・せむるゆへに、螢火に日月・江河に大海のやうなる上・念仏は仏のしばらくの戯論の法・実にこれをもつて生死を・はなれんとをもわば大石を船に造り大海をわたり・大山をになて嶮難を越ゆるがごとしと難ぜしかば・面をむかうる念仏者なし。
後には天台宗の人人を・かたらひて・どしうちにせんと・せしかども・それもかなはず、天台宗の人人も・せめられしかば在家出家の心ある人人・少少念仏と禅宗とをすつ、念仏者・禅宗・律僧等我が智力叶わざるゆへに諸宗に
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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破良観等御書 |
日蓮大聖人御書
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破良観等御書 1,293ページ
土宗・禅宗をきく・其の後叡山・薗城・高野・京中・田舎等処処に修行して自他宗の法門をならひしかども・我が身の不審はれがたき上・本よりの願に諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからず・いづれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし・論師・訳者・人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん、又法門によりては設い王のせめなりとも・はばかるべからず・何に況や其の已下の人をや、父母・師兄等の教訓なりとも用ゆべからず、人の信不信はしらず・ありのままに申すべしと誓状を立てしゆへに・三論宗の嘉祥・華厳宗の澄観・法相宗の慈恩等をば天台・妙楽・伝教等は無間地獄とせめたれども・真言宗の善無畏三蔵・弘法大師・慈覚・智証等の僻見は・いまだ・せむる人なし、善無畏・不空等の真言宗をすてて天台による事は妙楽大師の記の十の後序並に伝教大師の依憑集にのせられたれども・いまだ・くはしからざればにや慈覚・智証の謬悞は出来せるかと強盛にせむるなり。
かく申す程に年卅二・建長五年の春の比より念仏宗と禅宗と等をせめはじめて後に真言宗等をせむるほどに・念仏者等始にはあなづる、日蓮いかに・かしこくとも明円房・公胤僧上・顕真座主等には・すぐべからず、彼の人人だにもはじめは法然上人をなんぜしが後にみな堕ちて或は上人の弟子となり或は門家となる、日蓮は・かれがごとし我つめん我つめんとはやりし程に、いにしへの人人は但法然をなんじて善導・道綽等をせめず、又経の権実を・いわざりしかばこそ念仏者はをごりけれ、今日蓮は善導・法然等をば無間地獄につきをとして専ら浄土の三部経を法華経に・をしあはせて・せむるゆへに、螢火に日月・江河に大海のやうなる上・念仏は仏のしばらくの戯論の法・実にこれをもつて生死を・はなれんとをもわば大石を船に造り大海をわたり・大山をになて嶮難を越ゆるがごとしと難ぜしかば・面をむかうる念仏者なし。
後には天台宗の人人を・かたらひて・どしうちにせんと・せしかども・それもかなはず、天台宗の人人も・せめられしかば在家出家の心ある人人・少少念仏と禅宗とをすつ、念仏者・禅宗・律僧等我が智力叶わざるゆへに諸宗に
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