御書本文

祈祷抄
1,348ページ

をこりぬる事は、父母・主君・師匠なんどの制止を加うれどもなす事あり。
 さればはんよきと云いし賢人は我頸を切つてだにこそけいかと申せし人には与へき、季札と申せし人は約束の剣を徐の君が塚の上に懸けたりき、而るに霊山会上にして即身成仏せし竜女は・小乗経には五障の雲厚く三従のきづな強しと嫌はれ、四十余年の諸大乗経には或は歴劫修行にたへずと捨てられ、或は初発心時・便成正覚の言も有名無実なりしかば女人成仏もゆるさざりしに・設い人間天上の女人なりとも成仏の道には望なかりしに・竜畜下賤の身たるに女人とだに生れ・年さへいまだ・たけず・わづかに八歳なりき、かたがた思ひもよらざりしに文殊の教化によりて海中にして・法師・提婆の中間わづかに宝塔品を説かれし時刻に仏になりたりし事は・ありがたき事なり、一代超過の法華経の御力にあらずば・いかでか・かくは候べき、されば妙楽は「行浅功深以顕経力」とこそ書かせ給へ、竜女は我が仏になれる経なれば仏の御諫なくとも・いかでか法華経の行者を捨てさせ給うべき、されば自讃歎仏の偈には「我大乗の教を闡いて苦の衆生を度脱せん」等とこそ・すすませさせ給いしか、竜女の誓は其の所従の「非口所宣非心所測」の一切の竜畜の誓なり娑竭羅竜王は竜畜の身なれども子を念う志深かりしかば大海第一の宝如意宝珠をもむすめにとらせて即身成仏の御布施にせさせつれ此の珠は直三千大千世界にかふる珠なり。
 提婆達多は師子頰王には孫・釈迦如来には伯父たりし斛飯王の御子・阿難尊者の舎兄なり、善聞長者のむすめの腹なり、転輪聖王の御一門・南閻浮提には賤しからざる人なり、在家にましましし時は夫妻となるべきやすたら女を悉達太子に押し取られ宿世の敵と思いしに、出家の後に人天大会の集まりたりし時・仏に汝は癡人・唾を食へる者とのられし上・名聞利養深かりし人なれば仏の人に・もてなされしをそねみて・我が身には五法を行じて仏よりも尊げになし・鉄をのして千輻輪につけ・螢火を集めて白毫となし・六万宝蔵・八万宝蔵を胸に浮べ、象頭山に戒

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
祈祷抄 51    

日蓮大聖人御書

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祈祷抄 1,348ページ

をこりぬる事は、父母・主君・師匠なんどの制止を加うれどもなす事あり。
 さればはんよきと云いし賢人は我頸を切つてだにこそけいかと申せし人には与へき、季札と申せし人は約束の剣を徐の君が塚の上に懸けたりき、而るに霊山会上にして即身成仏せし竜女は・小乗経には五障の雲厚く三従のきづな強しと嫌はれ、四十余年の諸大乗経には或は歴劫修行にたへずと捨てられ、或は初発心時・便成正覚の言も有名無実なりしかば女人成仏もゆるさざりしに・設い人間天上の女人なりとも成仏の道には望なかりしに・竜畜下賤の身たるに女人とだに生れ・年さへいまだ・たけず・わづかに八歳なりき、かたがた思ひもよらざりしに文殊の教化によりて海中にして・法師・提婆の中間わづかに宝塔品を説かれし時刻に仏になりたりし事は・ありがたき事なり、一代超過の法華経の御力にあらずば・いかでか・かくは候べき、されば妙楽は「行浅功深以顕経力」とこそ書かせ給へ、竜女は我が仏になれる経なれば仏の御諫なくとも・いかでか法華経の行者を捨てさせ給うべき、されば自讃歎仏の偈には「我大乗の教を闡いて苦の衆生を度脱せん」等とこそ・すすませさせ給いしか、竜女の誓は其の所従の「非口所宣非心所測」の一切の竜畜の誓なり娑竭羅竜王は竜畜の身なれども子を念う志深かりしかば大海第一の宝如意宝珠をもむすめにとらせて即身成仏の御布施にせさせつれ此の珠は直三千大千世界にかふる珠なり。
 提婆達多は師子頰王には孫・釈迦如来には伯父たりし斛飯王の御子・阿難尊者の舎兄なり、善聞長者のむすめの腹なり、転輪聖王の御一門・南閻浮提には賤しからざる人なり、在家にましましし時は夫妻となるべきやすたら女を悉達太子に押し取られ宿世の敵と思いしに、出家の後に人天大会の集まりたりし時・仏に汝は癡人・唾を食へる者とのられし上・名聞利養深かりし人なれば仏の人に・もてなされしをそねみて・我が身には五法を行じて仏よりも尊げになし・鉄をのして千輻輪につけ・螢火を集めて白毫となし・六万宝蔵・八万宝蔵を胸に浮べ、象頭山に戒


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