御書本文

妙法比丘尼御返事
1,407ページ

れみ奉りて・ねんごろに看病して生しまいらせ、不浄をすすぎ・すてて麤布の商那衣をきせまいらせてありしかば、此聖人悦びて願じて云く汝我を助けて身の恥を隠せり此の衣を今生後生の衣とせんとて・やがて涅槃に入り給いき、此の功徳によりて過去・無量劫の間・人中天上に生れ生るる度ごとに、此の衣・身に随いて離るる事なし、乃至今生に釈迦如来の滅後第三の付嘱をうけて商那和修と申す聖人となり、摩突羅国の優留荼山と申す山に大伽藍を立てて無量の衆生を教化して仏法を弘通し給いし事二十年なり、所詮商那和修比丘の一切のたのしみ不思議は皆彼の衣より出生せりとこそ説かれて候へ。
 而るに日蓮は南閻浮提日本国と申す国の者なり、此の国は仏の世に出でさせ給いし国よりは東に当りて二十万余里の外遙なる海中の小島なり、而るに仏・御入滅ありては既に二千二百二十七年なり、月氏・漢土の人の此の国の人人を見候へば此の国の人の伊豆の大島・奥州の東のえぞなんどを見るやうにこそ候らめ、而るに日蓮は日本国安房の国と申す国に生れて候しが、民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり、此の度いかにもして仏種をもうへ生死を離るる身とならんと思いて候し程に、皆人の願わせ給う事なれば阿弥陀仏をたのみ奉り幼少より名号を唱え候し程に、いささかの事ありて、此の事を疑いし故に一の願をおこす、日本国に渡れる処の仏経並に菩薩の論と人師の釈を習い見候はばや、又倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・真言宗・法華天台宗と申す宗どもあまた有りときく上に、禅宗・浄土宗と申す宗も候なり、此等の宗宗・枝葉をばこまかに習はずとも所詮肝要を知る身とならばやと思いし故に、随分に・はしりまはり十二・十六の年より三十二に至るまで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国国・寺寺あらあら習い回り候し程に・一の不思議あり、我れ等が・はかなき心に推するに仏法は唯一味なるべし、いづれもいづれも・心に入れて習ひ願はば生死を離るべしとこそ思いて候に、仏法の中に入りて悪しく習い候ぬれば謗法と申す大なる穴に堕ち入つて、十悪五逆と申して日日・夜夜に

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
妙法比丘尼御返事 57   身延

日蓮大聖人御書

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妙法比丘尼御返事 1,407ページ

れみ奉りて・ねんごろに看病して生しまいらせ、不浄をすすぎ・すてて麤布の商那衣をきせまいらせてありしかば、此聖人悦びて願じて云く汝我を助けて身の恥を隠せり此の衣を今生後生の衣とせんとて・やがて涅槃に入り給いき、此の功徳によりて過去・無量劫の間・人中天上に生れ生るる度ごとに、此の衣・身に随いて離るる事なし、乃至今生に釈迦如来の滅後第三の付嘱をうけて商那和修と申す聖人となり、摩突羅国の優留荼山と申す山に大伽藍を立てて無量の衆生を教化して仏法を弘通し給いし事二十年なり、所詮商那和修比丘の一切のたのしみ不思議は皆彼の衣より出生せりとこそ説かれて候へ。
 而るに日蓮は南閻浮提日本国と申す国の者なり、此の国は仏の世に出でさせ給いし国よりは東に当りて二十万余里の外遙なる海中の小島なり、而るに仏・御入滅ありては既に二千二百二十七年なり、月氏・漢土の人の此の国の人人を見候へば此の国の人の伊豆の大島・奥州の東のえぞなんどを見るやうにこそ候らめ、而るに日蓮は日本国安房の国と申す国に生れて候しが、民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり、此の度いかにもして仏種をもうへ生死を離るる身とならんと思いて候し程に、皆人の願わせ給う事なれば阿弥陀仏をたのみ奉り幼少より名号を唱え候し程に、いささかの事ありて、此の事を疑いし故に一の願をおこす、日本国に渡れる処の仏経並に菩薩の論と人師の釈を習い見候はばや、又倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・真言宗・法華天台宗と申す宗どもあまた有りときく上に、禅宗・浄土宗と申す宗も候なり、此等の宗宗・枝葉をばこまかに習はずとも所詮肝要を知る身とならばやと思いし故に、随分に・はしりまはり十二・十六の年より三十二に至るまで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国国・寺寺あらあら習い回り候し程に・一の不思議あり、我れ等が・はかなき心に推するに仏法は唯一味なるべし、いづれもいづれも・心に入れて習ひ願はば生死を離るべしとこそ思いて候に、仏法の中に入りて悪しく習い候ぬれば謗法と申す大なる穴に堕ち入つて、十悪五逆と申して日日・夜夜に


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