御書本文

妙法比丘尼御返事
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みじき事なりとほめさせ給う。
 又人王五十代・桓武天皇の御宇に弘法大師と申す聖人此の国に生れて、漢土より真言宗と申すめずらしき法を習い伝へ平城嵯峨淳和等の王の御師となりて東寺・高野と申す寺を建立し、又慈覚大師・智証大師と申す聖人同じく此宗を習い伝えて叡山・園城寺に弘通せしかば日本国の山寺・一同に此の法を伝へ今に真言を行ひ鈴をふりて公家武家の御祈をし候、所謂二階堂・大御堂・若宮等の別当等是れなり、是れは古も御たのみある上当世の国主等家には柱・天には日月・河には橋・海には船の如く御たのみあり。
 禅宗と申すは又当世の持斎等を建長寺等にあがめさせ給うて父母よりも重んじ神よりも御たのみあり、されば一切の諸人頭をかたぶけ手をあざふ、かかる世にいかなればにや候らん、天変と申して彗星長く東西に渡り・地夭と申して大地をくつがへすこと大海の船を大風の時・大波のくつがへすに似たり、大風吹いて草木をからし飢饉も年年にゆき疫病月月におこり大旱魃ゆきて河池・田畠・皆かはきぬ、此くの如く三災・七難・数十年起りて民半分に減じ残りは或は父母・或は兄弟・或は妻子にわかれて歎く声・秋の虫にことならず、家家のちりうする事冬の草木の雪にせめられたるに似たり、是は・いかなる事ぞと経論を引き見候へば仏の言く法華経と申す経を謗じ我れを用いざる国あらばかかる事あるべしと、仏の記しをかせ給いて候御言にすこしも・たがひ候はず。
 日蓮疑て云く日本には誰か法華経と釈迦仏をば謗ずべきと疑ふ、又たまさか謗ずる者は少少ありとも信ずる者こそ多くあるらめと存じ候、爰に此の日本国に人ごとに阿弥陀堂をつくり念仏を申す、其の根本を尋ぬれば道綽禅師・善導和尚・法然上人と申す三人の言より出でて候、是れは浄土宗の根本・今の諸人の御師なり、此の三人の念仏を弘めさせ給いし時にのたまはく未有一人得者・千中無一・捨閉閣抛等云云、いふこころは阿弥陀仏をたのみ奉らん人は一切の経・一切の仏・一切の神をすてて但阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と申すべし、其の上ことに法華経と

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
妙法比丘尼御返事 57   身延

日蓮大聖人御書

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妙法比丘尼御返事 1,409ページ

みじき事なりとほめさせ給う。
 又人王五十代・桓武天皇の御宇に弘法大師と申す聖人此の国に生れて、漢土より真言宗と申すめずらしき法を習い伝へ平城嵯峨淳和等の王の御師となりて東寺・高野と申す寺を建立し、又慈覚大師・智証大師と申す聖人同じく此宗を習い伝えて叡山・園城寺に弘通せしかば日本国の山寺・一同に此の法を伝へ今に真言を行ひ鈴をふりて公家武家の御祈をし候、所謂二階堂・大御堂・若宮等の別当等是れなり、是れは古も御たのみある上当世の国主等家には柱・天には日月・河には橋・海には船の如く御たのみあり。
 禅宗と申すは又当世の持斎等を建長寺等にあがめさせ給うて父母よりも重んじ神よりも御たのみあり、されば一切の諸人頭をかたぶけ手をあざふ、かかる世にいかなればにや候らん、天変と申して彗星長く東西に渡り・地夭と申して大地をくつがへすこと大海の船を大風の時・大波のくつがへすに似たり、大風吹いて草木をからし飢饉も年年にゆき疫病月月におこり大旱魃ゆきて河池・田畠・皆かはきぬ、此くの如く三災・七難・数十年起りて民半分に減じ残りは或は父母・或は兄弟・或は妻子にわかれて歎く声・秋の虫にことならず、家家のちりうする事冬の草木の雪にせめられたるに似たり、是は・いかなる事ぞと経論を引き見候へば仏の言く法華経と申す経を謗じ我れを用いざる国あらばかかる事あるべしと、仏の記しをかせ給いて候御言にすこしも・たがひ候はず。
 日蓮疑て云く日本には誰か法華経と釈迦仏をば謗ずべきと疑ふ、又たまさか謗ずる者は少少ありとも信ずる者こそ多くあるらめと存じ候、爰に此の日本国に人ごとに阿弥陀堂をつくり念仏を申す、其の根本を尋ぬれば道綽禅師・善導和尚・法然上人と申す三人の言より出でて候、是れは浄土宗の根本・今の諸人の御師なり、此の三人の念仏を弘めさせ給いし時にのたまはく未有一人得者・千中無一・捨閉閣抛等云云、いふこころは阿弥陀仏をたのみ奉らん人は一切の経・一切の仏・一切の神をすてて但阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と申すべし、其の上ことに法華経と


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