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浄蓮房御書
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浄蓮房御書

 浄蓮房御書 建治元年六月 五十四歳御作

 細美帷一つ送り給び候い畢んぬ、善導和尚と申す人は漢土に臨淄と申す国の人なり、幼少の時・密州と申す国の明勝と申す人を師とせしが・彼の僧は法華経と浄名経を尊重して我も読誦し人をもすすめしかば善導に此れを教ゆ、善導此れを習いて師の如く行ぜし程に過去の宿習にや有りけん、案じて云く仏法には無量の行あり機に随いて皆利益あり・教いみじと・いへども機にあたらざれば虚きがごとし、されば我れ法華経を行ずるは我が機に叶はずは・いかんが有るべかるらん、教には依るべからずと思いて一切経蔵に入り両眼を閉ぢて経をとる観無量寿経を得たり、披見すれば此の経に云く「未来世の煩悩の賊に害せらるる者の為清浄の業を説く」等云云、華厳経は二乗のため法華経・涅槃経等は五乗に・わたれども・たいしは聖人のためなり、末法の我等が為なる経は唯観経にかぎれり、釈尊最後の遺言には涅槃経にはすぐべからず、彼の経には七種の衆生を列ねたり、第一は入水則没の一闡提人なり生死の水に入りしより已来いまに出でず・譬へば大石を大海に投入たるがごとし、身重くして浮ぶことを習はず常に海底に有り此れを常没と名く、第二をば出已復没と申す譬へば身に力有りとも浮ぶことを・ならはざれば出で已つて復入りぬ・此れは第一の一闡提の人には有らねども一闡提のごとし又常没と名く、第三は出已不没と申す・生死の河を出でてより・このかた没することなし、此れは舎利弗等の声聞なり、第四は出已即住・第五は観方・第六は浅処・第七は到彼岸等なり、第四・第五・第六・第七は縁覚・菩薩なり、釈迦如来世に出でさせ給いて一代五時の経経を説き給いて第三已上の人人を救い給い畢んぬ、第一は捨てさせ給いぬ、法蔵比丘阿弥陀仏此れをうけとつて・四十八願を発して迎えとらせ給う、十方三世の仏と釈迦仏とは第三已上の一切衆生

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
浄蓮房御書 54   身延

日蓮大聖人御書

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 浄蓮房御書 建治元年六月 五十四歳御作

 細美帷一つ送り給び候い畢んぬ、善導和尚と申す人は漢土に臨淄と申す国の人なり、幼少の時・密州と申す国の明勝と申す人を師とせしが・彼の僧は法華経と浄名経を尊重して我も読誦し人をもすすめしかば善導に此れを教ゆ、善導此れを習いて師の如く行ぜし程に過去の宿習にや有りけん、案じて云く仏法には無量の行あり機に随いて皆利益あり・教いみじと・いへども機にあたらざれば虚きがごとし、されば我れ法華経を行ずるは我が機に叶はずは・いかんが有るべかるらん、教には依るべからずと思いて一切経蔵に入り両眼を閉ぢて経をとる観無量寿経を得たり、披見すれば此の経に云く「未来世の煩悩の賊に害せらるる者の為清浄の業を説く」等云云、華厳経は二乗のため法華経・涅槃経等は五乗に・わたれども・たいしは聖人のためなり、末法の我等が為なる経は唯観経にかぎれり、釈尊最後の遺言には涅槃経にはすぐべからず、彼の経には七種の衆生を列ねたり、第一は入水則没の一闡提人なり生死の水に入りしより已来いまに出でず・譬へば大石を大海に投入たるがごとし、身重くして浮ぶことを習はず常に海底に有り此れを常没と名く、第二をば出已復没と申す譬へば身に力有りとも浮ぶことを・ならはざれば出で已つて復入りぬ・此れは第一の一闡提の人には有らねども一闡提のごとし又常没と名く、第三は出已不没と申す・生死の河を出でてより・このかた没することなし、此れは舎利弗等の声聞なり、第四は出已即住・第五は観方・第六は浅処・第七は到彼岸等なり、第四・第五・第六・第七は縁覚・菩薩なり、釈迦如来世に出でさせ給いて一代五時の経経を説き給いて第三已上の人人を救い給い畢んぬ、第一は捨てさせ給いぬ、法蔵比丘阿弥陀仏此れをうけとつて・四十八願を発して迎えとらせ給う、十方三世の仏と釈迦仏とは第三已上の一切衆生


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