御書本文
り・多宝如来はつなでを取り給へば・上行等の四菩薩は函蓋相応して・きりきりとこぎ給う所の船を如渡得船の船とは申すなり、是にのるべき者は日蓮が弟子・檀那等なり、能く能く信じさせ給へ、四条金吾殿に見参候はば能く能く語り給い候へ、委くは又又申すべく候、恐恐謹言。
四月二十八日 日 蓮 花押
椎地四郎殿え
弥三郎殿御返事
弥三郎殿御返事 建治三年 五十六歳御作
是は無智の俗にて候へども承わり候いしに貴く思ひ進らせ候いしは・法華の第二の巻に今此三界とかや申す文にて候なり、此の文の意は今此の日本国は釈迦仏の御領なり、天照太神・八幡大菩薩・神武天皇等の一切の神・国主並に万民までも釈迦仏の御所領の内なる上・此の仏は我等衆生に三の故御坐す大恩の仏なり、一には国主なり・二には師匠なり・三には親父なり、此の三徳を備へ給う事は十方の仏の中に唯釈迦仏計りなり、されば今の日本国の一切衆生は設い釈迦仏に・ねんごろに仕ふる事・当時の阿弥陀仏の如くすとも又他仏を並べて同じ様にもてなし進らせば大なる失なり、譬えば我が主の而も智者にて御坐さんを他国の王に思ひ替えて・日本国にすみながら漢土高麗の王を重んじて・日本国の王におろそかならんをば・此の国の大王いみじと申す者ならんや、況や日本国の諸僧は一人もなく釈迦如来の御弟子として頭をそり衣を著たり、阿弥陀仏の弟子には・あらぬぞかし、然るに釈迦堂・法華堂・画像・木像・法華経一部も持ち候はぬ僧共が・三徳全く備はり給へる釈迦仏をば閣きて・一徳もなき阿弥陀仏を国こぞりて郷・村・家ごとに人の数よりも多く立てならべ阿弥陀仏の名号を一向に申して一日に六万・
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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椎地四郎殿御書 | 40 | 鎌倉 | |
弥三郎殿御返事 | 56 | 身延 |
日蓮大聖人御書
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椎地四郎殿御書 弥三郎殿御返事 1,449ページ
り・多宝如来はつなでを取り給へば・上行等の四菩薩は函蓋相応して・きりきりとこぎ給う所の船を如渡得船の船とは申すなり、是にのるべき者は日蓮が弟子・檀那等なり、能く能く信じさせ給へ、四条金吾殿に見参候はば能く能く語り給い候へ、委くは又又申すべく候、恐恐謹言。
四月二十八日 日 蓮 花押
椎地四郎殿え
弥三郎殿御返事
弥三郎殿御返事 建治三年 五十六歳御作
是は無智の俗にて候へども承わり候いしに貴く思ひ進らせ候いしは・法華の第二の巻に今此三界とかや申す文にて候なり、此の文の意は今此の日本国は釈迦仏の御領なり、天照太神・八幡大菩薩・神武天皇等の一切の神・国主並に万民までも釈迦仏の御所領の内なる上・此の仏は我等衆生に三の故御坐す大恩の仏なり、一には国主なり・二には師匠なり・三には親父なり、此の三徳を備へ給う事は十方の仏の中に唯釈迦仏計りなり、されば今の日本国の一切衆生は設い釈迦仏に・ねんごろに仕ふる事・当時の阿弥陀仏の如くすとも又他仏を並べて同じ様にもてなし進らせば大なる失なり、譬えば我が主の而も智者にて御坐さんを他国の王に思ひ替えて・日本国にすみながら漢土高麗の王を重んじて・日本国の王におろそかならんをば・此の国の大王いみじと申す者ならんや、況や日本国の諸僧は一人もなく釈迦如来の御弟子として頭をそり衣を著たり、阿弥陀仏の弟子には・あらぬぞかし、然るに釈迦堂・法華堂・画像・木像・法華経一部も持ち候はぬ僧共が・三徳全く備はり給へる釈迦仏をば閣きて・一徳もなき阿弥陀仏を国こぞりて郷・村・家ごとに人の数よりも多く立てならべ阿弥陀仏の名号を一向に申して一日に六万・
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