御書本文
も治めがたき事なり、其の故は貪欲をば仏不浄観の薬をもて治し・瞋恚をば慈悲観をもて治し・愚癡をば十二因縁観をもてこそ治し給うに・いまは此の法門をとひて人を・をとして貪欲・瞋恚・愚癡をますなり、譬へば火をば水をもつてけす・悪をば善をもつて打つ・しかるにかへりて水より出ぬる火をば水をかくればあぶらになりていよいよ大火となるなり。
今末代悪世に世間の悪より出世の法門につきて大悪出生せり、これをば・しらずして今の人人・善根をすすれば・いよいよ代のほろぶる事出来せり、今の代の天台真言等の諸宗の僧等をやしなうは・外は善根とこそ見ゆれども内は十悪五逆にもすぎたる大悪なり、しかれば代のをさまらん事は大覚世尊の智慧のごとくなる智人世に有りて・仙予国王のごとくなる賢王とよりあひて・一向に善根をとどめ大悪をもつて八宗の智人とをもうものを・或はせめ或はながし或はせをとどめ或は頭をはねてこそ代はすこし・をさまるべきにて候へ。
法華経の第一の巻の「諸法実相乃至唯仏と仏と乃ち能く究尽し給う」ととかれて候はこれなり、本末究竟と申すは本とは悪のね善の根・末と申すは悪のをわり善の終りぞかし、善悪の根本枝葉をさとり極めたるを仏とは申すなり、天台云く「夫れ一心に十法界を具す」等云云、章安云く「仏尚此れを大事と為す易解を得べきなり」妙楽云く「乃至終窮究竟の極説なり」等云云、法華経に云く「皆実相と相違背せず」等云云、天台之を承けて云く「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」等云云、智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり、殷の代の濁りて民のわづらいしを大公望出世して殷の紂が頸を切りて民のなげきをやめ、二世王が民の口ににがかりし張良出でて代ををさめ民の口をあまくせし、此等は仏法已前なれども教主釈尊の御使として民をたすけしなり、外経の人人は・しらざりしかども彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり。
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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減劫御書 | 身延 |
日蓮大聖人御書
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減劫御書 1,466ページ
も治めがたき事なり、其の故は貪欲をば仏不浄観の薬をもて治し・瞋恚をば慈悲観をもて治し・愚癡をば十二因縁観をもてこそ治し給うに・いまは此の法門をとひて人を・をとして貪欲・瞋恚・愚癡をますなり、譬へば火をば水をもつてけす・悪をば善をもつて打つ・しかるにかへりて水より出ぬる火をば水をかくればあぶらになりていよいよ大火となるなり。
今末代悪世に世間の悪より出世の法門につきて大悪出生せり、これをば・しらずして今の人人・善根をすすれば・いよいよ代のほろぶる事出来せり、今の代の天台真言等の諸宗の僧等をやしなうは・外は善根とこそ見ゆれども内は十悪五逆にもすぎたる大悪なり、しかれば代のをさまらん事は大覚世尊の智慧のごとくなる智人世に有りて・仙予国王のごとくなる賢王とよりあひて・一向に善根をとどめ大悪をもつて八宗の智人とをもうものを・或はせめ或はながし或はせをとどめ或は頭をはねてこそ代はすこし・をさまるべきにて候へ。
法華経の第一の巻の「諸法実相乃至唯仏と仏と乃ち能く究尽し給う」ととかれて候はこれなり、本末究竟と申すは本とは悪のね善の根・末と申すは悪のをわり善の終りぞかし、善悪の根本枝葉をさとり極めたるを仏とは申すなり、天台云く「夫れ一心に十法界を具す」等云云、章安云く「仏尚此れを大事と為す易解を得べきなり」妙楽云く「乃至終窮究竟の極説なり」等云云、法華経に云く「皆実相と相違背せず」等云云、天台之を承けて云く「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」等云云、智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり、殷の代の濁りて民のわづらいしを大公望出世して殷の紂が頸を切りて民のなげきをやめ、二世王が民の口ににがかりし張良出でて代ををさめ民の口をあまくせし、此等は仏法已前なれども教主釈尊の御使として民をたすけしなり、外経の人人は・しらざりしかども彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり。
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