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三沢抄
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三沢抄

 三 沢 抄 建治四年二月 五十七歳御作
 与三沢小次郎
 かへすがへす・するがの人人みな同じ御心と申させ給い候へ。
柑子一百・こふのり・をご等の生の物はるばると・わざわざ山中へをくり給いて候、ならびに・うつぶさの尼ごぜんの御こそで一給い候い了んぬ。
 さては・かたがたのをほせくはしくみほどき候。
 抑仏法をがくする者は大地微塵よりをほけれども・まことに仏になる人は爪の上の土よりも・すくなしと・大覚世尊・涅槃経にたしかに・とかせ給いて候いしを、日蓮みまいらせ候て・いかなれば・かくわ・かたかるらむと・かんがへ候いしほどに・げにも・さならむとをもう事候、仏法をばがくすれども或は我が心のをろかなるにより或はたとひ智慧は・かしこき・やうなれども師によりて我が心のまがるをしらず、仏教をなをしくならひうる事かたし、たとひ明師並に実経に値い奉りて正法をへたる人なれども生死をいで仏にならむとする時には・かならず影の身にそうがごとく・雨に雲のあるがごとく・三障四魔と申して七の大事出現す、設ひ・からくして六は・すぐれども第七にやぶられぬれば仏になる事かたし、其の六は且くをく第七の大難は天子魔と申す物なり、設い末代の凡夫・一代聖教の御心をさとり・摩訶止観と申す大事の御文の心を心えて仏になるべきになり候いぬれば・第六天の魔王・此の事を見て驚きて云く、あらあさましや此の者此の国に跡を止ならば・かれが我が身の生死をいづるかは・さてをきぬ・又人を導くべし、又此の国土ををさへとりて我が土を浄土となす、いかんがせんとて欲・色・無色の三界の一切の眷属をもよをし仰せ下して云く、各各ののうのうに随つて・かの行者をなやましてみよ・そ

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
三沢抄 57 三沢小次郎 身延

日蓮大聖人御書

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三沢抄 1,487ページ

三沢抄

 三 沢 抄 建治四年二月 五十七歳御作
 与三沢小次郎
 かへすがへす・するがの人人みな同じ御心と申させ給い候へ。
柑子一百・こふのり・をご等の生の物はるばると・わざわざ山中へをくり給いて候、ならびに・うつぶさの尼ごぜんの御こそで一給い候い了んぬ。
 さては・かたがたのをほせくはしくみほどき候。
 抑仏法をがくする者は大地微塵よりをほけれども・まことに仏になる人は爪の上の土よりも・すくなしと・大覚世尊・涅槃経にたしかに・とかせ給いて候いしを、日蓮みまいらせ候て・いかなれば・かくわ・かたかるらむと・かんがへ候いしほどに・げにも・さならむとをもう事候、仏法をばがくすれども或は我が心のをろかなるにより或はたとひ智慧は・かしこき・やうなれども師によりて我が心のまがるをしらず、仏教をなをしくならひうる事かたし、たとひ明師並に実経に値い奉りて正法をへたる人なれども生死をいで仏にならむとする時には・かならず影の身にそうがごとく・雨に雲のあるがごとく・三障四魔と申して七の大事出現す、設ひ・からくして六は・すぐれども第七にやぶられぬれば仏になる事かたし、其の六は且くをく第七の大難は天子魔と申す物なり、設い末代の凡夫・一代聖教の御心をさとり・摩訶止観と申す大事の御文の心を心えて仏になるべきになり候いぬれば・第六天の魔王・此の事を見て驚きて云く、あらあさましや此の者此の国に跡を止ならば・かれが我が身の生死をいづるかは・さてをきぬ・又人を導くべし、又此の国土ををさへとりて我が土を浄土となす、いかんがせんとて欲・色・無色の三界の一切の眷属をもよをし仰せ下して云く、各各ののうのうに随つて・かの行者をなやましてみよ・そ


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