御書本文

南条殿御返事
1,534ページ

のちごに・とらせよとありしかば・ちごはしりをりて・なわをときけり、大はしの太郎は・わが子ともしらず・いかなる事ゆへに・たすかるともしらざりけり、さて大将殿又めして・このちごに・やうやうの御ふせたびて・ををはしの太郎をたぶのみならず、本領をも安堵ありけり。
 大将殿をほせありけるは法華経の御事は昔よりさる事とわききつたへたれども・丸は身にあたりて二つのゆへあり、一には故親父の御くびを大上入道に切られてあさましとも・いうばかりなかりしに、いかなる神・仏にか申すべきと・おもいしに走湯山の妙法尼より法華経をよみつたへ千部と申せし時、たかをのもんがく房をやのくびをもて来りて・みせたりし上・かたきを打つのみならず・日本国の武士の大将を給いてあり、これひとへに法華経の御利生なり、二つには・このちごが・をやをたすけぬる事不思議なり、大橋の太郎というやつは頼朝きくわいなりとをもう・たとい勅宣なりとも・かへし申して・くびをきりてん、あまりのにくさにこそ十二年まで・土のろうには入れてありつるに・かかる不思議あり、されば法華経と申す事はありがたき事なり、頼朝は武士の大将にて多くのつみ・つもりてあれども法華経を信じまいらせて候へば・さりともと・こそをもへと・なみだぐみ給いけり。
 今の御心ざしみ候へば故なんでうどのは・ただ子なれば・いとをしとわ・をぼしめしけるらめども・かく法華経をもて我がけうやうをすべしとは・よもをぼしたらじ、たとひつみありて・いかなるところに・おはすとも・この御けうやうの心ざしをば・えんまほうわう・ぼんでん・たひしやく・までも・しろしめしぬらん、釈迦仏・法華経もいかでか・すてさせ給うべき、かのちごのちちのなわを・ときしと・この御心ざし・かれにたがわず、これはなみだをもちて・かきて候なり。
 又むくりのおこれるよし・これにはいまだうけ給わらず、これを申せば日蓮房はむくり国のわたるといへば・よろこぶと申すこれゆわれなき事なり、かかる事あるべしと申せしかば・あだがたきと人ごとにせめしが・経文かぎ

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
南条殿御返事 55   身延

日蓮大聖人御書

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南条殿御返事 1,534ページ

のちごに・とらせよとありしかば・ちごはしりをりて・なわをときけり、大はしの太郎は・わが子ともしらず・いかなる事ゆへに・たすかるともしらざりけり、さて大将殿又めして・このちごに・やうやうの御ふせたびて・ををはしの太郎をたぶのみならず、本領をも安堵ありけり。
 大将殿をほせありけるは法華経の御事は昔よりさる事とわききつたへたれども・丸は身にあたりて二つのゆへあり、一には故親父の御くびを大上入道に切られてあさましとも・いうばかりなかりしに、いかなる神・仏にか申すべきと・おもいしに走湯山の妙法尼より法華経をよみつたへ千部と申せし時、たかをのもんがく房をやのくびをもて来りて・みせたりし上・かたきを打つのみならず・日本国の武士の大将を給いてあり、これひとへに法華経の御利生なり、二つには・このちごが・をやをたすけぬる事不思議なり、大橋の太郎というやつは頼朝きくわいなりとをもう・たとい勅宣なりとも・かへし申して・くびをきりてん、あまりのにくさにこそ十二年まで・土のろうには入れてありつるに・かかる不思議あり、されば法華経と申す事はありがたき事なり、頼朝は武士の大将にて多くのつみ・つもりてあれども法華経を信じまいらせて候へば・さりともと・こそをもへと・なみだぐみ給いけり。
 今の御心ざしみ候へば故なんでうどのは・ただ子なれば・いとをしとわ・をぼしめしけるらめども・かく法華経をもて我がけうやうをすべしとは・よもをぼしたらじ、たとひつみありて・いかなるところに・おはすとも・この御けうやうの心ざしをば・えんまほうわう・ぼんでん・たひしやく・までも・しろしめしぬらん、釈迦仏・法華経もいかでか・すてさせ給うべき、かのちごのちちのなわを・ときしと・この御心ざし・かれにたがわず、これはなみだをもちて・かきて候なり。
 又むくりのおこれるよし・これにはいまだうけ給わらず、これを申せば日蓮房はむくり国のわたるといへば・よろこぶと申すこれゆわれなき事なり、かかる事あるべしと申せしかば・あだがたきと人ごとにせめしが・経文かぎ


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