御書本文
するがと・かいとのさかひは山たかく河ふかく・石おほくみちせばし、いわうや・たうじは・あめはしのをたてて三月におよび・かわはまさりて九十日、やまくづれ・みちふさがり・人もかよはず・かつてもたえて・いのちかうにて候いつるに・このすずのもの給いて法華経の御こえをもつぎ・釈迦仏の御いのちをも・たすけまいらせ給いぬる御功徳ただをしはからせ給うべし、くはしくは又又申すべし、恐恐。
七月七日 日 蓮 花押
御 返 事
時光御返事
時光御返事 弘安元年七月八日 五十七歳御作
与南条時光
むぎのしろきこめ一駄・はじかみ送り給び畢んぬ。
こくぼんわうの太子あなりちと申す人は・家にましましし時は俗性は月氏国の本主てんりん聖王のすえ・師子けう王のまご・浄飯王のおひ・こくぼん王には太子なり、天下に・いやしからざる上・家中には一日の間・一万二千人の人出入す、六千人はたからをかりき・六千人はかへりなす、かかる富人にておはする上・天眼第一の人・法華経にては普明如来となるべきよし仏記し給う。
これは過去の行は・いかなる大善ぞとたづぬるに・むかしれうしあり山のけだものをとりて・すぎけるが・又ひえをつくり食とするほどに・飢えたる世なればものもなし、ただ・ひえのはん一ありけるを・くひければ・りたと申す辟支仏の聖人来りて云く・我七日の間食なし汝が食者えさせよと・こわせ給いしかば・きたなき俗のごきに入れて・けがしはじめて候と申しければ・ただえさせよ今食せずば死ぬべしと云う、おそれながら・まいらせつ、此の聖人まいり給いしが・ただひえ一つびを・とりのこして・れうしにかへし給いき、ひえへんじていのことなる、いのこ
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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種種物御消息 | 57 | 南条平七郎 | 身延 |
時光御返事 | 57 | 南条時光 | 身延 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
種種物御消息 時光御返事 1,549ページ
するがと・かいとのさかひは山たかく河ふかく・石おほくみちせばし、いわうや・たうじは・あめはしのをたてて三月におよび・かわはまさりて九十日、やまくづれ・みちふさがり・人もかよはず・かつてもたえて・いのちかうにて候いつるに・このすずのもの給いて法華経の御こえをもつぎ・釈迦仏の御いのちをも・たすけまいらせ給いぬる御功徳ただをしはからせ給うべし、くはしくは又又申すべし、恐恐。
七月七日 日 蓮 花押
御 返 事
時光御返事
時光御返事 弘安元年七月八日 五十七歳御作
与南条時光
むぎのしろきこめ一駄・はじかみ送り給び畢んぬ。
こくぼんわうの太子あなりちと申す人は・家にましましし時は俗性は月氏国の本主てんりん聖王のすえ・師子けう王のまご・浄飯王のおひ・こくぼん王には太子なり、天下に・いやしからざる上・家中には一日の間・一万二千人の人出入す、六千人はたからをかりき・六千人はかへりなす、かかる富人にておはする上・天眼第一の人・法華経にては普明如来となるべきよし仏記し給う。
これは過去の行は・いかなる大善ぞとたづぬるに・むかしれうしあり山のけだものをとりて・すぎけるが・又ひえをつくり食とするほどに・飢えたる世なればものもなし、ただ・ひえのはん一ありけるを・くひければ・りたと申す辟支仏の聖人来りて云く・我七日の間食なし汝が食者えさせよと・こわせ給いしかば・きたなき俗のごきに入れて・けがしはじめて候と申しければ・ただえさせよ今食せずば死ぬべしと云う、おそれながら・まいらせつ、此の聖人まいり給いしが・ただひえ一つびを・とりのこして・れうしにかへし給いき、ひえへんじていのことなる、いのこ
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