御書本文

上野殿母御前御返事
1,569ページ

に勝れりと申して候は・くるしからず還つて大功徳となり候、経文の如くなるが故なり。
 此の法華経の始に無量義経と申す経おはします、譬えば大王の行幸の御時・将軍前陣して狼籍をしづむるが如し、其の無量義経に云く「四十余年には未だ真実を顕さず」等云云、此れは将軍が大王に敵する者を大弓を以て射はらひ・又太刀を以て切りすつるが如し、華厳経を読む華厳宗・阿含経の律僧等・観経の念仏者等・大日経の真言師等の者共が法華経にしたがはぬを・せめなびかす利剣の勅宣なり、譬えば貞任を義家が責め清盛を頼朝の打ち失せしが如し、無量義経の四十余年の文は不動明王の剣索・愛染明王の弓箭なり。
 故南条五郎殿の死出の山・三途の河を越し給わん時・煩悩の山賊・罪業の海賊を静めて・事故なく霊山浄土へ参らせ給うべき御供の兵者は無量義経の四十余年・未顕真実の文ぞかし。
 法華経第一の巻・方便品に云く「世尊の法は久くして後要らず当に真実を説きたもうべし」又云く「正直に方便を捨てて但無上道を説く」云云、第五の巻に云く「唯髻中の明珠」又云く「独り王の頂上に此の一珠有り」又云く「彼の強力の王の久しく護れる明珠を今乃ち之を与うるが如し」等云云、文の心は日本国に一切経わたれり七千三百九十九巻なり彼れ彼れの経経は皆法華経の眷属なり、例せば日本国の男女の数・四十九億九万四千八百二十八人候へども皆一人の国王の家人たるが如し、一切経の心は愚癡の女人なんどの唯一時に心うべきやうは・たとへば大塔をくみ候には先ず材木より外に足代と申して多くの小木を集め一丈二丈計りゆひあげ候なり、かくゆひあげて材木を以て大塔をくみあげ候いつれば・返つて足代を切り捨て大塔は候なり、足代と申すは一切経なり大塔と申すは法華経なり、仏一切経を説き給いし事は法華経を説かせ給はんための足代なり、正直捨方便と申して法華経を信ずる人は阿弥陀経等の南無阿弥陀仏・大日経等の真言宗・阿含経等の律宗の二百五十戒等を切りすて抛ちてのち法華経をば持ち候なり、大塔をくまんがためには足代大切なれども大塔をくみあげぬれば・足代を切り落

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
上野殿母御前御返事 59   身延

日蓮大聖人御書

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上野殿母御前御返事 1,569ページ

に勝れりと申して候は・くるしからず還つて大功徳となり候、経文の如くなるが故なり。
 此の法華経の始に無量義経と申す経おはします、譬えば大王の行幸の御時・将軍前陣して狼籍をしづむるが如し、其の無量義経に云く「四十余年には未だ真実を顕さず」等云云、此れは将軍が大王に敵する者を大弓を以て射はらひ・又太刀を以て切りすつるが如し、華厳経を読む華厳宗・阿含経の律僧等・観経の念仏者等・大日経の真言師等の者共が法華経にしたがはぬを・せめなびかす利剣の勅宣なり、譬えば貞任を義家が責め清盛を頼朝の打ち失せしが如し、無量義経の四十余年の文は不動明王の剣索・愛染明王の弓箭なり。
 故南条五郎殿の死出の山・三途の河を越し給わん時・煩悩の山賊・罪業の海賊を静めて・事故なく霊山浄土へ参らせ給うべき御供の兵者は無量義経の四十余年・未顕真実の文ぞかし。
 法華経第一の巻・方便品に云く「世尊の法は久くして後要らず当に真実を説きたもうべし」又云く「正直に方便を捨てて但無上道を説く」云云、第五の巻に云く「唯髻中の明珠」又云く「独り王の頂上に此の一珠有り」又云く「彼の強力の王の久しく護れる明珠を今乃ち之を与うるが如し」等云云、文の心は日本国に一切経わたれり七千三百九十九巻なり彼れ彼れの経経は皆法華経の眷属なり、例せば日本国の男女の数・四十九億九万四千八百二十八人候へども皆一人の国王の家人たるが如し、一切経の心は愚癡の女人なんどの唯一時に心うべきやうは・たとへば大塔をくみ候には先ず材木より外に足代と申して多くの小木を集め一丈二丈計りゆひあげ候なり、かくゆひあげて材木を以て大塔をくみあげ候いつれば・返つて足代を切り捨て大塔は候なり、足代と申すは一切経なり大塔と申すは法華経なり、仏一切経を説き給いし事は法華経を説かせ給はんための足代なり、正直捨方便と申して法華経を信ずる人は阿弥陀経等の南無阿弥陀仏・大日経等の真言宗・阿含経等の律宗の二百五十戒等を切りすて抛ちてのち法華経をば持ち候なり、大塔をくまんがためには足代大切なれども大塔をくみあげぬれば・足代を切り落


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