御書本文
但し此の経に二箇の大事あり倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗等は名をもしらず華厳宗と真言宗との二宗は偸に盗んで自宗の骨目とせり、一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。
一念三千は十界互具よりことはじまれり、法相と三論とは八界を立てて十界をしらず況や互具をしるべしや、倶舎・成実・律宗等は阿含経によれり六界を明めて四界をしらず、十方唯有一仏と云つて一方有仏だにもあかさず、一切有情・悉有仏性とこそ・とかざらめ一人の仏性猶ゆるさず、而るを律宗・成実宗等の十方有仏・有仏性なんど申すは仏滅後の人師等の大乗の義を自宗に盗み入れたるなるべし、例せば外典・外道等は仏前の外道は執見あさし仏後の外道は仏教をききみて自宗の非をしり巧の心・出現して仏教を盗み取り自宗に入れて邪見もつとも・ふかし、附仏教・学仏法成等これなり、外典も又又かくのごとし漢土に仏法いまだ・わたらざりし時の儒家・道家は・いういうとして嬰児のごとく・はかなかりしが後漢・已後に釈教わたりて対論の後・釈教やうやく流布する程に釈教の僧侶・破戒のゆへに或は還俗して家にかへり或は俗に心をあはせ儒道の内に釈教を盗み入れたり、止観の第五に云く「今世多く悪魔の比丘有つて戒を退き家に還り駈策を懼畏して更に道士に越済す、復た名利を邀て荘老を誇談し仏法の義を以て偸んで邪典に安き高を押して下に就け尊を摧いて卑に入れ概して平等ならしむ」云云、弘に云く「比丘の身と作つて仏法を破滅す若しは戒を退き家に還るは衛の元嵩等が如し、即ち在家の身を以て仏法を破壊す、此の人正教を偸竊して邪典に助添す、押高等とは道士の心を以て二教の概と為し邪正をして等しからしむ義是の理無し、曾つて仏法に入つて正を偸んで邪を助け八万・十二の高きを押して五千・二篇の下きに就け用つて彼の典の邪鄙の教を釈するを摧尊入卑と名く」等云云、此の釈を見るべし次上の心なり。
仏教又かくのごとし、後漢の永平に漢土に仏法わたりて邪典やぶれて内典立つ、内典に南三・北七の異執をこ
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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開目抄上 | 51 | 門下一同 | 佐渡 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
開目抄上 189ページ
但し此の経に二箇の大事あり倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗等は名をもしらず華厳宗と真言宗との二宗は偸に盗んで自宗の骨目とせり、一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。
一念三千は十界互具よりことはじまれり、法相と三論とは八界を立てて十界をしらず況や互具をしるべしや、倶舎・成実・律宗等は阿含経によれり六界を明めて四界をしらず、十方唯有一仏と云つて一方有仏だにもあかさず、一切有情・悉有仏性とこそ・とかざらめ一人の仏性猶ゆるさず、而るを律宗・成実宗等の十方有仏・有仏性なんど申すは仏滅後の人師等の大乗の義を自宗に盗み入れたるなるべし、例せば外典・外道等は仏前の外道は執見あさし仏後の外道は仏教をききみて自宗の非をしり巧の心・出現して仏教を盗み取り自宗に入れて邪見もつとも・ふかし、附仏教・学仏法成等これなり、外典も又又かくのごとし漢土に仏法いまだ・わたらざりし時の儒家・道家は・いういうとして嬰児のごとく・はかなかりしが後漢・已後に釈教わたりて対論の後・釈教やうやく流布する程に釈教の僧侶・破戒のゆへに或は還俗して家にかへり或は俗に心をあはせ儒道の内に釈教を盗み入れたり、止観の第五に云く「今世多く悪魔の比丘有つて戒を退き家に還り駈策を懼畏して更に道士に越済す、復た名利を邀て荘老を誇談し仏法の義を以て偸んで邪典に安き高を押して下に就け尊を摧いて卑に入れ概して平等ならしむ」云云、弘に云く「比丘の身と作つて仏法を破滅す若しは戒を退き家に還るは衛の元嵩等が如し、即ち在家の身を以て仏法を破壊す、此の人正教を偸竊して邪典に助添す、押高等とは道士の心を以て二教の概と為し邪正をして等しからしむ義是の理無し、曾つて仏法に入つて正を偸んで邪を助け八万・十二の高きを押して五千・二篇の下きに就け用つて彼の典の邪鄙の教を釈するを摧尊入卑と名く」等云云、此の釈を見るべし次上の心なり。
仏教又かくのごとし、後漢の永平に漢土に仏法わたりて邪典やぶれて内典立つ、内典に南三・北七の異執をこ
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