御書本文

開目抄上 開目抄下
210ページ

前・華厳等の大法を説くを聞けども・となり、未だ曾て是くの如き深妙の上法を聞かずと謂うは未だ法華経の唯一仏乗の教を聞かざるなり」等云云、華厳・方等・般若・深密・大日等の恒河沙の諸大乗経はいまだ一代の肝心たる一念三千の大綱・骨髄たる二乗作仏・久遠実成等をいまだきかずと領解せり。

開目抄下

 開 目 抄 下

 又今よりこそ諸大菩薩も梵帝・日月・四天等も教主釈尊の御弟子にては候へ、されば宝塔品には此等の大菩薩を仏我が御弟子等とをぼすゆへに諫暁して云く「諸の大衆に告ぐ我が滅度の後・誰か能く此の経を護持し読誦する今仏前に於て自ら誓言を説け」とは・したたかに仰せ下せしか、又諸大菩薩も「譬えば大風の小樹の枝を吹くが如し」等と吉祥草の大風に随い河水の大海へ引くがごとく仏には随いまいらせしか。
 而れども霊山日浅くして夢のごとく・うつつならずありしに証前の宝塔の上に起後の宝塔あつて十方の諸仏・来集せる皆我が分身なりとなのらせ給い宝塔は虚空に釈迦・多宝坐を並べ日月の青天に並出せるが如し、人天大会は星をつらね分身の諸仏は大地の上宝樹の下の師子のゆかにまします、華厳経の蓮華蔵世界は十方・此土の報仏・各各に国国にして彼の界の仏・此の土に来つて分身となのらず此の界の仏・彼の界へゆかず但法慧等の大菩薩のみ互いに来会せり、大日経・金剛頂経等の八葉九尊・三十七尊等・大日如来の化身とはみゆれども其の化身・三身円満の古仏にあらず、大品経の千仏・阿弥陀経の六方の諸仏いまだ来集の仏にあらず大集経の来集の仏・又分身ならず、金光明経の四方の四仏は化身なり、総じて一切経の中に各修・各行の三身円満の諸仏を集めて我が分身と

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
開目抄上 51 門下一同 佐渡
開目抄下 51   佐渡

日蓮大聖人御書

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開目抄上 開目抄下 210ページ

前・華厳等の大法を説くを聞けども・となり、未だ曾て是くの如き深妙の上法を聞かずと謂うは未だ法華経の唯一仏乗の教を聞かざるなり」等云云、華厳・方等・般若・深密・大日等の恒河沙の諸大乗経はいまだ一代の肝心たる一念三千の大綱・骨髄たる二乗作仏・久遠実成等をいまだきかずと領解せり。

開目抄下

 開 目 抄 下

 又今よりこそ諸大菩薩も梵帝・日月・四天等も教主釈尊の御弟子にては候へ、されば宝塔品には此等の大菩薩を仏我が御弟子等とをぼすゆへに諫暁して云く「諸の大衆に告ぐ我が滅度の後・誰か能く此の経を護持し読誦する今仏前に於て自ら誓言を説け」とは・したたかに仰せ下せしか、又諸大菩薩も「譬えば大風の小樹の枝を吹くが如し」等と吉祥草の大風に随い河水の大海へ引くがごとく仏には随いまいらせしか。
 而れども霊山日浅くして夢のごとく・うつつならずありしに証前の宝塔の上に起後の宝塔あつて十方の諸仏・来集せる皆我が分身なりとなのらせ給い宝塔は虚空に釈迦・多宝坐を並べ日月の青天に並出せるが如し、人天大会は星をつらね分身の諸仏は大地の上宝樹の下の師子のゆかにまします、華厳経の蓮華蔵世界は十方・此土の報仏・各各に国国にして彼の界の仏・此の土に来つて分身となのらず此の界の仏・彼の界へゆかず但法慧等の大菩薩のみ互いに来会せり、大日経・金剛頂経等の八葉九尊・三十七尊等・大日如来の化身とはみゆれども其の化身・三身円満の古仏にあらず、大品経の千仏・阿弥陀経の六方の諸仏いまだ来集の仏にあらず大集経の来集の仏・又分身ならず、金光明経の四方の四仏は化身なり、総じて一切経の中に各修・各行の三身円満の諸仏を集めて我が分身と


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