御書本文

開目抄下
223ページ

 日蓮は諸経の勝劣をしること華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・真言の弘法にすぐれたり、天台・伝教の跡をしのぶゆへなり、彼の人人は天台・伝教に帰せさせ給はずば謗法の失脱れさせ給うべしや、当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし命は法華経にたてまつり名をば後代に留べし、大海の主となれば諸の河神・皆したがう須弥山の王に諸の山神したがはざるべしや、法華経の六難九易を弁うれば一切経よまざるにしたがうべし。
 宝塔品の三箇の勅宣の上に提婆品に二箇の諫暁あり、提婆達多は一闡提なり天王如来と記せらる、涅槃経四十巻の現証は此の品にあり、善星・阿闍世等の無量の五逆・謗法の者の一をあげ頭をあげ万ををさめ枝をしたがふ、一切の五逆・七逆・謗法・闡提・天王如来にあらはれ了んぬ毒薬変じて甘露となる衆味にすぐれたり、竜女が成仏此れ一人にはあらず一切の女人の成仏をあらはす、法華已前の諸の小乗教には女人の成仏をゆるさず、諸の大乗経には成仏・往生をゆるすやうなれども或は改転の成仏にして一念三千の成仏にあらざれば有名無実の成仏往生なり、挙一例諸と申して竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし、儒家の孝養は今生にかぎる未来の父母を扶けざれば外家の聖賢は有名無実なり、外道は過未をしれども父母を扶くる道なし仏道こそ父母の後世を扶くれば聖賢の名はあるべけれ、しかれども法華経已前等の大小乗の経宗は自身の得道猶かなひがたし何に況や父母をや但文のみあつて義なし、今法華経の時こそ女人成仏の時・悲母の成仏も顕われ・達多の悪人成仏の時・慈父の成仏も顕わるれ、此の経は内典の孝経なり、二箇のいさめ了んぬ。
 已上五箇の鳳詔にをどろきて勧持品の弘経あり、明鏡の経文を出して当世の禅・律・念仏者・並びに諸檀那の謗法をしらしめん、日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ、此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なりかたみともみるべし。

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
開目抄下 51   佐渡

日蓮大聖人御書

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開目抄下 223ページ

 日蓮は諸経の勝劣をしること華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・真言の弘法にすぐれたり、天台・伝教の跡をしのぶゆへなり、彼の人人は天台・伝教に帰せさせ給はずば謗法の失脱れさせ給うべしや、当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし命は法華経にたてまつり名をば後代に留べし、大海の主となれば諸の河神・皆したがう須弥山の王に諸の山神したがはざるべしや、法華経の六難九易を弁うれば一切経よまざるにしたがうべし。
 宝塔品の三箇の勅宣の上に提婆品に二箇の諫暁あり、提婆達多は一闡提なり天王如来と記せらる、涅槃経四十巻の現証は此の品にあり、善星・阿闍世等の無量の五逆・謗法の者の一をあげ頭をあげ万ををさめ枝をしたがふ、一切の五逆・七逆・謗法・闡提・天王如来にあらはれ了んぬ毒薬変じて甘露となる衆味にすぐれたり、竜女が成仏此れ一人にはあらず一切の女人の成仏をあらはす、法華已前の諸の小乗教には女人の成仏をゆるさず、諸の大乗経には成仏・往生をゆるすやうなれども或は改転の成仏にして一念三千の成仏にあらざれば有名無実の成仏往生なり、挙一例諸と申して竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし、儒家の孝養は今生にかぎる未来の父母を扶けざれば外家の聖賢は有名無実なり、外道は過未をしれども父母を扶くる道なし仏道こそ父母の後世を扶くれば聖賢の名はあるべけれ、しかれども法華経已前等の大小乗の経宗は自身の得道猶かなひがたし何に況や父母をや但文のみあつて義なし、今法華経の時こそ女人成仏の時・悲母の成仏も顕われ・達多の悪人成仏の時・慈父の成仏も顕わるれ、此の経は内典の孝経なり、二箇のいさめ了んぬ。
 已上五箇の鳳詔にをどろきて勧持品の弘経あり、明鏡の経文を出して当世の禅・律・念仏者・並びに諸檀那の謗法をしらしめん、日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ、此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なりかたみともみるべし。


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