御書本文

開目抄下
229ページ

て八邪と為し六入を用いて六通と為し四大を以つて四諦と為す、此くの如く経を解するは偽の中の偽なり何ぞ浅くして論ず可けんや」等云云、止観の七に云く「昔鄴洛の禅師名河海に播き住するときは四方雲の如くに仰ぎ去るときは阡陌群を成し隠隠轟轟亦何の利益か有る、臨終に皆悔ゆ」等云云、弘の七に云く「鄴洛の禅師とは鄴は相州に在り即ち斉魏の都する所なり、大に仏法を興す禅祖の一・其の地を王化す、時人の意を護りて其の名を出さず洛は即ち洛陽なり」等云云、六巻の般泥洹経に云く「究竟の処を見ずとは彼の一闡提の輩の究竟の悪業を見ざるなり」等云云、妙楽云く「第三最も甚だし転識り難きが故に」等、無眼の者・一眼の者・邪見の者は末法の始の三類を見るべからず一分の仏眼を得るもの此れをしるべし、向国王大臣婆羅門居士等云云、東春に云く「公処に向い法を毀り人を謗ず」等云云、夫れ昔像法の末には護命・修円等・奏状をささげて伝教大師を讒奏す、今末法の始には良観・念阿等偽書を注して将軍家にささぐ・あに三類の怨敵にあらずや。
 当世の念仏者等・天台法華宗の檀那の国王・大臣・婆羅門・居士等に向つて云く「法華経は理深我等は解微法は至つて深く機は至つて浅し」等と申しうとむるは高推聖境・非己智分の者にあらずや、禅宗の云く「法華経は月をさす指・禅宗は月なり月をえて指なにかせん、禅は仏の心・法華経は仏の言なり仏・法華経等の一切経をとかせ給いて後・最後に一ふさの華をもつて迦葉一人にさづく、其のしるしに仏の御袈裟を迦葉に付属し乃至付法蔵の二十八・六祖までに伝う」等云云、此等の大妄語・国中を誑酔せしめてとしひさし、又天台・真言の高僧等・名は其の家にえたれども我が宗にくらし、貪欲は深く公家・武家を・をそれて此の義を証伏し讃歎す、昔の多宝・分身の諸仏は法華経の令法久住を証明す、今天台宗の碩徳は理深解微を証伏せり、かるがゆへに日本国に但法華経の名のみあつて得道の人一人もなし、誰をか法華経の行者とせん、寺塔を焼いて流罪せらるる僧侶は・かずをしらず、公家・武家に諛うて・にくまるる高僧これ多し、此等を法華経の行者というべきか。

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
開目抄下 51   佐渡

日蓮大聖人御書

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開目抄下 229ページ

て八邪と為し六入を用いて六通と為し四大を以つて四諦と為す、此くの如く経を解するは偽の中の偽なり何ぞ浅くして論ず可けんや」等云云、止観の七に云く「昔鄴洛の禅師名河海に播き住するときは四方雲の如くに仰ぎ去るときは阡陌群を成し隠隠轟轟亦何の利益か有る、臨終に皆悔ゆ」等云云、弘の七に云く「鄴洛の禅師とは鄴は相州に在り即ち斉魏の都する所なり、大に仏法を興す禅祖の一・其の地を王化す、時人の意を護りて其の名を出さず洛は即ち洛陽なり」等云云、六巻の般泥洹経に云く「究竟の処を見ずとは彼の一闡提の輩の究竟の悪業を見ざるなり」等云云、妙楽云く「第三最も甚だし転識り難きが故に」等、無眼の者・一眼の者・邪見の者は末法の始の三類を見るべからず一分の仏眼を得るもの此れをしるべし、向国王大臣婆羅門居士等云云、東春に云く「公処に向い法を毀り人を謗ず」等云云、夫れ昔像法の末には護命・修円等・奏状をささげて伝教大師を讒奏す、今末法の始には良観・念阿等偽書を注して将軍家にささぐ・あに三類の怨敵にあらずや。
 当世の念仏者等・天台法華宗の檀那の国王・大臣・婆羅門・居士等に向つて云く「法華経は理深我等は解微法は至つて深く機は至つて浅し」等と申しうとむるは高推聖境・非己智分の者にあらずや、禅宗の云く「法華経は月をさす指・禅宗は月なり月をえて指なにかせん、禅は仏の心・法華経は仏の言なり仏・法華経等の一切経をとかせ給いて後・最後に一ふさの華をもつて迦葉一人にさづく、其のしるしに仏の御袈裟を迦葉に付属し乃至付法蔵の二十八・六祖までに伝う」等云云、此等の大妄語・国中を誑酔せしめてとしひさし、又天台・真言の高僧等・名は其の家にえたれども我が宗にくらし、貪欲は深く公家・武家を・をそれて此の義を証伏し讃歎す、昔の多宝・分身の諸仏は法華経の令法久住を証明す、今天台宗の碩徳は理深解微を証伏せり、かるがゆへに日本国に但法華経の名のみあつて得道の人一人もなし、誰をか法華経の行者とせん、寺塔を焼いて流罪せらるる僧侶は・かずをしらず、公家・武家に諛うて・にくまるる高僧これ多し、此等を法華経の行者というべきか。


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