御書本文

報恩抄
306ページ

全・元政等の八人の真言師には法華経と大日経は理同事勝等云云、天台宗の志遠・広修・維蠲等に習いしには大日経は方等部の摂等云云、同じき承和十三年九月十日に御帰朝・嘉祥元年六月十四日に宣旨下、法華・大日経等の勝劣は漢土にしてしりがたかりけるかのゆへに金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻・已上十四巻此疏の心は大日経・金剛頂経・蘇悉地経の義と法華経の義は其の所詮の理は一同なれども事相の印と真言とは真言の三部経すぐれたりと云云、此れは偏に善無畏・金剛智・不空の造りたる大日経の疏の心のごとし、然れども我が心に猶不審やのこりけん又心にはとけてんげれども人の不審をはらさんとや・おぼしけん、此の十四巻の疏を御本尊の御前にさしをきて御祈請ありき・かくは造りて候へども仏意計りがたし大日の三部やすぐれたる法華経の三部やまされると御祈念有りしかば五日と申す五更に忽に夢想あり、青天に大日輪かかり給へり矢をもてこれを射ければ矢飛んで天にのぼり日輪の中に立ちぬ日輪動転してすでに地に落んとすと・をもひて・うちさめぬ、悦んで云く我吉夢あり法華経に真言勝れたりと造りつるふみは仏意に叶いけりと悦ばせ給いて宣旨を申し下して日本国に弘通あり、而も宣旨の心に云く「遂に知んぬ天台の止観と真言の法義とは理冥に符えり」等と云云、祈請のごときんば大日経に法華経は劣なるやうなり、宣旨を申し下すには法華経と大日経とは同じ等云云。
 智証大師は本朝にしては義真和尚・円澄大師・別当・慈覚等の弟子なり、顕密の二道は大体・此の国にして学し給いけり天台・真言の二宗の勝劣の御不審に漢土へは渡り給けるか、去仁寿二年に御入唐・漢土にしては真言宗は法全・元政等にならはせ給い大体・大日経と法華経とは理同事勝・慈覚の義のごとし、天台宗は良諝和尚にならひ給い・真言・天台の勝劣・大日経は華厳・法華等には及ばず等云云、七年が間・漢土に経て去る貞観元年五月十七日に御帰朝、大日経の旨帰に云く「法華尚及ばず況や自余の教をや」等云云、此釈は法華経は大日経には劣る等云云、又授決集に云く「真言禅門乃至若し華厳法華涅槃等の経に望むれば是れ摂引門」等云云、普賢経の記・論の記

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
報恩抄 55   身延

日蓮大聖人御書

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報恩抄 306ページ

全・元政等の八人の真言師には法華経と大日経は理同事勝等云云、天台宗の志遠・広修・維蠲等に習いしには大日経は方等部の摂等云云、同じき承和十三年九月十日に御帰朝・嘉祥元年六月十四日に宣旨下、法華・大日経等の勝劣は漢土にしてしりがたかりけるかのゆへに金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻・已上十四巻此疏の心は大日経・金剛頂経・蘇悉地経の義と法華経の義は其の所詮の理は一同なれども事相の印と真言とは真言の三部経すぐれたりと云云、此れは偏に善無畏・金剛智・不空の造りたる大日経の疏の心のごとし、然れども我が心に猶不審やのこりけん又心にはとけてんげれども人の不審をはらさんとや・おぼしけん、此の十四巻の疏を御本尊の御前にさしをきて御祈請ありき・かくは造りて候へども仏意計りがたし大日の三部やすぐれたる法華経の三部やまされると御祈念有りしかば五日と申す五更に忽に夢想あり、青天に大日輪かかり給へり矢をもてこれを射ければ矢飛んで天にのぼり日輪の中に立ちぬ日輪動転してすでに地に落んとすと・をもひて・うちさめぬ、悦んで云く我吉夢あり法華経に真言勝れたりと造りつるふみは仏意に叶いけりと悦ばせ給いて宣旨を申し下して日本国に弘通あり、而も宣旨の心に云く「遂に知んぬ天台の止観と真言の法義とは理冥に符えり」等と云云、祈請のごときんば大日経に法華経は劣なるやうなり、宣旨を申し下すには法華経と大日経とは同じ等云云。
 智証大師は本朝にしては義真和尚・円澄大師・別当・慈覚等の弟子なり、顕密の二道は大体・此の国にして学し給いけり天台・真言の二宗の勝劣の御不審に漢土へは渡り給けるか、去仁寿二年に御入唐・漢土にしては真言宗は法全・元政等にならはせ給い大体・大日経と法華経とは理同事勝・慈覚の義のごとし、天台宗は良諝和尚にならひ給い・真言・天台の勝劣・大日経は華厳・法華等には及ばず等云云、七年が間・漢土に経て去る貞観元年五月十七日に御帰朝、大日経の旨帰に云く「法華尚及ばず況や自余の教をや」等云云、此釈は法華経は大日経には劣る等云云、又授決集に云く「真言禅門乃至若し華厳法華涅槃等の経に望むれば是れ摂引門」等云云、普賢経の記・論の記


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