御書本文
に云く同じ等云云、貞観八年丙戌四月廿九日壬申・勅宣を申し下して云く「聞くならく真言・止観・両教の宗同じく醍醐と号し倶に深秘と称す」等云云、又六月三日の勅宣に云く「先師既に両業を開いて以て我が道と為す代代の座主相承して兼ね伝えざること莫し在後の輩豈旧迹に乖かんや、聞くならく山上の僧等専ら先師の義に違いて偏執の心を成ず殆んど余風を扇揚し旧業を興隆するを顧みざるに似たり、凡そ厥の師資の道・一を闕きても不可なり伝弘の勤め寧ろ兼備せざらんや、今より以後宜く両教に通達するの人を以て延暦寺の座主と為し立てて恒例と為すべし」云云。
されば慈覚・智証の二人は伝教・義真の御弟子、漢土にわたりては又天台・真言の明師に値いて有りしかども二宗の勝劣は思い定めざりけるか或は真言すぐれ或は法華すぐれ或は理同事勝等云云、宣旨を申し下すには二宗の勝劣を論ぜん人は違勅の者といましめられたり、此れ等は皆自語相違といゐぬべし他宗の人はよも用いじとみえて候、但二宗斉等とは先師伝教大師の御義と宣旨に引き載せられたり、抑も伝教大師いづれの書にかかれて候ぞや此の事よくよく尋ぬべし、慈覚・智証と日蓮とが伝教大師の御事を不審申すは親に値うての年あらそひ日天に値い奉りての目くらべにては候へども慈覚・智証の御かたふどを・せさせ給はん人人は分明なる証文をかまへさせ給うべし、詮ずるところは信をとらんがためなり、玄奘三蔵は月氏の婆沙論を見たりし人ぞかし天竺にわたらざりし宝法師にせめられにき、法護三蔵は印度の法華経をば見たれども嘱累の先後をば漢土の人みねども悞といひしぞかし、設い慈覚・伝教大師に値い奉りて習い伝えたりとも智証・義真和尚に口決せりといふとも伝教・義真の正文に相違せばあに不審を加えざらん、伝教大師の依憑集と申す文は大師第一の秘書なり、彼の書の序に云く「新来の真言家は則ち筆授の相承を泯し旧到の華厳家は則ち影響の軌範を隠し、沈空の三論宗は弾訶の屈恥を忘れて称心の酔を覆う、著有の法相は撲揚の帰依を非し青竜の判経を撥う等、乃至謹んで依憑集の一巻を著わして
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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報恩抄 | 55 | 身延 |
日蓮大聖人御書
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報恩抄 307ページ
に云く同じ等云云、貞観八年丙戌四月廿九日壬申・勅宣を申し下して云く「聞くならく真言・止観・両教の宗同じく醍醐と号し倶に深秘と称す」等云云、又六月三日の勅宣に云く「先師既に両業を開いて以て我が道と為す代代の座主相承して兼ね伝えざること莫し在後の輩豈旧迹に乖かんや、聞くならく山上の僧等専ら先師の義に違いて偏執の心を成ず殆んど余風を扇揚し旧業を興隆するを顧みざるに似たり、凡そ厥の師資の道・一を闕きても不可なり伝弘の勤め寧ろ兼備せざらんや、今より以後宜く両教に通達するの人を以て延暦寺の座主と為し立てて恒例と為すべし」云云。
されば慈覚・智証の二人は伝教・義真の御弟子、漢土にわたりては又天台・真言の明師に値いて有りしかども二宗の勝劣は思い定めざりけるか或は真言すぐれ或は法華すぐれ或は理同事勝等云云、宣旨を申し下すには二宗の勝劣を論ぜん人は違勅の者といましめられたり、此れ等は皆自語相違といゐぬべし他宗の人はよも用いじとみえて候、但二宗斉等とは先師伝教大師の御義と宣旨に引き載せられたり、抑も伝教大師いづれの書にかかれて候ぞや此の事よくよく尋ぬべし、慈覚・智証と日蓮とが伝教大師の御事を不審申すは親に値うての年あらそひ日天に値い奉りての目くらべにては候へども慈覚・智証の御かたふどを・せさせ給はん人人は分明なる証文をかまへさせ給うべし、詮ずるところは信をとらんがためなり、玄奘三蔵は月氏の婆沙論を見たりし人ぞかし天竺にわたらざりし宝法師にせめられにき、法護三蔵は印度の法華経をば見たれども嘱累の先後をば漢土の人みねども悞といひしぞかし、設い慈覚・伝教大師に値い奉りて習い伝えたりとも智証・義真和尚に口決せりといふとも伝教・義真の正文に相違せばあに不審を加えざらん、伝教大師の依憑集と申す文は大師第一の秘書なり、彼の書の序に云く「新来の真言家は則ち筆授の相承を泯し旧到の華厳家は則ち影響の軌範を隠し、沈空の三論宗は弾訶の屈恥を忘れて称心の酔を覆う、著有の法相は撲揚の帰依を非し青竜の判経を撥う等、乃至謹んで依憑集の一巻を著わして
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