御書本文

報恩抄
310ページ

すること群に特秀し唐に独歩す明に知んぬ如来の使なり讃る者は福を安明に積み謗る者は罪を無間に開く」等云云、法華経・天台・妙楽・伝教の経釈の心の如くならば今日本国には法華経の行者は一人も・なきぞかし、月氏には教主釈尊・宝塔品にして一切の仏を・あつめさせ給て大地の上に居せしめ大日如来計り宝塔の中の南の下座にすへ奉りて教主釈尊は北の上座につかせ給う、此の大日如来は大日経の胎蔵界の大日・金剛頂経の金剛界の大日の主君なり、両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に教主釈尊居せさせ給う此れ即ち法華経の行者なり天竺かくのごとし、漢土には陳帝の時・天台大師・南北にせめかちて現身に大師となる「群に特秀し唐に独歩す」という・これなり、日本国には伝教大師・六宗にせめかちて日本の始第一の根本大師となり給う・月氏・漢土・日本に但三人計りこそ於一切衆生中亦為第一にては候へ、されば秀句に云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり天台大師は釈迦に信順して法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承して法華宗を助けて日本に弘通す」等云云、仏滅後・一千八百余年が間に法華経の行者・漢土に一人・日本に一人・已上二人釈尊を加へ奉りて已上三人なり。
 外典に云く聖人は一千年に一出で賢人は五百年に一出づ、黄河は涇渭ながれを・わけて五百年には半河すみ千年には共に清むと申すは一定にて候けり、然るに日本国は叡山計りに伝教大師の御時・法華経の行者ましましけり、義真・円澄は第一第二の座主なり第一の義真計り伝教大師ににたり、第二の円澄は半は伝教の御弟子・半は弘法の弟子なり、第三の慈覚大師は始めは伝教大師の御弟子に・にたり、御年四十にて漢土に・わたりてより名は伝教の御弟子・其の跡をば・つがせ給えども法門は全く御弟子にはあらず、而れども円頓の戒計りは又御弟子ににたり蝙蝠鳥のごとし鳥にもあらず・ねずみにもあらず梟鳥禽・破鏡獣のごとし、法華経の父を食らい持者の母をかめるなり日をいるとゆめに・みしこれなり、されば死去の後は墓なくてやみぬ、智証の門家・園城寺と慈覚の

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
報恩抄 55   身延

日蓮大聖人御書

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報恩抄 310ページ

すること群に特秀し唐に独歩す明に知んぬ如来の使なり讃る者は福を安明に積み謗る者は罪を無間に開く」等云云、法華経・天台・妙楽・伝教の経釈の心の如くならば今日本国には法華経の行者は一人も・なきぞかし、月氏には教主釈尊・宝塔品にして一切の仏を・あつめさせ給て大地の上に居せしめ大日如来計り宝塔の中の南の下座にすへ奉りて教主釈尊は北の上座につかせ給う、此の大日如来は大日経の胎蔵界の大日・金剛頂経の金剛界の大日の主君なり、両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に教主釈尊居せさせ給う此れ即ち法華経の行者なり天竺かくのごとし、漢土には陳帝の時・天台大師・南北にせめかちて現身に大師となる「群に特秀し唐に独歩す」という・これなり、日本国には伝教大師・六宗にせめかちて日本の始第一の根本大師となり給う・月氏・漢土・日本に但三人計りこそ於一切衆生中亦為第一にては候へ、されば秀句に云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり天台大師は釈迦に信順して法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承して法華宗を助けて日本に弘通す」等云云、仏滅後・一千八百余年が間に法華経の行者・漢土に一人・日本に一人・已上二人釈尊を加へ奉りて已上三人なり。
 外典に云く聖人は一千年に一出で賢人は五百年に一出づ、黄河は涇渭ながれを・わけて五百年には半河すみ千年には共に清むと申すは一定にて候けり、然るに日本国は叡山計りに伝教大師の御時・法華経の行者ましましけり、義真・円澄は第一第二の座主なり第一の義真計り伝教大師ににたり、第二の円澄は半は伝教の御弟子・半は弘法の弟子なり、第三の慈覚大師は始めは伝教大師の御弟子に・にたり、御年四十にて漢土に・わたりてより名は伝教の御弟子・其の跡をば・つがせ給えども法門は全く御弟子にはあらず、而れども円頓の戒計りは又御弟子ににたり蝙蝠鳥のごとし鳥にもあらず・ねずみにもあらず梟鳥禽・破鏡獣のごとし、法華経の父を食らい持者の母をかめるなり日をいるとゆめに・みしこれなり、されば死去の後は墓なくてやみぬ、智証の門家・園城寺と慈覚の


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