御書本文

顕謗法抄
452ページ

の仏を供養し帰依渇仰する功徳には百千万倍すぎたりととかれたり。
 問うて云く上の義のごとくならば華厳・法相・三論・真言・浄土等の祖師はみな謗法に堕すべきか、華厳宗には華厳経は法華経には雲泥超過せり法相三論もてかくのごとし、真言宗には日本国に二の流あり東寺の真言は法華経は華厳経にをとれり何に況や大日経にをいてをや、天台の真言には大日経と法華経とは理は斉等なり印真言等は超過せりと云云、此等は皆悪道に堕つべしや、答えて云く宗をたて経経の勝劣を判ずるに二の義あり、一は似破二は能破なり一に似破とは他の義は吉とをもえども此をはすかの正義を分明にあらはさんがためか、二に能破とは実に他人の義の勝れたるをば弁えずして迷うて我が義すぐれたりと・をもひて心中よりこれを破するをば能破という・されば彼の宗宗の祖師に似破・能破の二の義あるべし、心中には法華経は諸経に勝れたりと思えども且く違して法華経の義を顕さんと・をもひて・これをはする事あり、提婆達多・阿闍世王・諸の外道が仏のかたきとなりて仏徳を顕し後には仏に帰せしがごとし、又実の凡夫が仏のかたきとなりて悪道に堕つる事これ多し、されば諸宗の祖師の中に回心の筆をかかずば謗法の者・悪道に堕ちたりとしるべし、三論の嘉祥・華厳の澄観・法相の慈恩・東寺の弘法等は回心の筆これあるか、よくよく尋ねならうべし。
 問うて云くまことに今度生死をはなれんと・をもはんに・なにものをか・いとひなにものをか願うべきや、答う諸の経文には女人等をいとうべしと・みへたれども雙林・最後の涅槃経に云く「菩薩是の身に無量の過患具足充満すと見ると雖も涅槃経を受持せんと欲するを為ての故に猶好く将護して乏少ならしめず、菩薩悪象等に於ては心に恐怖すること無れ悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ、何を以ての故に是れ悪象等は唯能く身を壊りて心を壊る事能わず、悪知識は二倶に壊るが故に、悪象の若きは唯一身を壊る悪知識は無量の身無量の善心を壊る、悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては三趣に至る」等と云云此の経文の心は後世を願はん人は一切

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
顕謗法抄 41   伊東

日蓮大聖人御書

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顕謗法抄 452ページ

の仏を供養し帰依渇仰する功徳には百千万倍すぎたりととかれたり。
 問うて云く上の義のごとくならば華厳・法相・三論・真言・浄土等の祖師はみな謗法に堕すべきか、華厳宗には華厳経は法華経には雲泥超過せり法相三論もてかくのごとし、真言宗には日本国に二の流あり東寺の真言は法華経は華厳経にをとれり何に況や大日経にをいてをや、天台の真言には大日経と法華経とは理は斉等なり印真言等は超過せりと云云、此等は皆悪道に堕つべしや、答えて云く宗をたて経経の勝劣を判ずるに二の義あり、一は似破二は能破なり一に似破とは他の義は吉とをもえども此をはすかの正義を分明にあらはさんがためか、二に能破とは実に他人の義の勝れたるをば弁えずして迷うて我が義すぐれたりと・をもひて心中よりこれを破するをば能破という・されば彼の宗宗の祖師に似破・能破の二の義あるべし、心中には法華経は諸経に勝れたりと思えども且く違して法華経の義を顕さんと・をもひて・これをはする事あり、提婆達多・阿闍世王・諸の外道が仏のかたきとなりて仏徳を顕し後には仏に帰せしがごとし、又実の凡夫が仏のかたきとなりて悪道に堕つる事これ多し、されば諸宗の祖師の中に回心の筆をかかずば謗法の者・悪道に堕ちたりとしるべし、三論の嘉祥・華厳の澄観・法相の慈恩・東寺の弘法等は回心の筆これあるか、よくよく尋ねならうべし。
 問うて云くまことに今度生死をはなれんと・をもはんに・なにものをか・いとひなにものをか願うべきや、答う諸の経文には女人等をいとうべしと・みへたれども雙林・最後の涅槃経に云く「菩薩是の身に無量の過患具足充満すと見ると雖も涅槃経を受持せんと欲するを為ての故に猶好く将護して乏少ならしめず、菩薩悪象等に於ては心に恐怖すること無れ悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ、何を以ての故に是れ悪象等は唯能く身を壊りて心を壊る事能わず、悪知識は二倶に壊るが故に、悪象の若きは唯一身を壊る悪知識は無量の身無量の善心を壊る、悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては三趣に至る」等と云云此の経文の心は後世を願はん人は一切


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