御書本文

顕謗法抄
451ページ

義なり、無量義経には正く四十余年の内に華厳海空と名目を呼び出して四十余年の内にかずへ入れられたり、人師を本とせば仏に背くになりぬ。
 問うて云く法華経をはなれて往生成仏をとげずば仏世に出させ給ては但法華経計をこそ説き給はめ、なんぞ・わづらはしく四十余年の経経を説かせ給うや、答えて云く此の難は仏自ら答え給えり「若し但仏乗を讃せば衆生苦に没在して法を破して信ぜざるが故に三悪道に墜ちなん」等の経文これなり、問うて云くいかなれば爾前の経をば衆生謗ぜざるや、答えて云く爾前の経経は万差なれども束ねて此れを論ずれば随他意と申して衆生の心をとかれてはんべり故に違する事なし、譬へば水に石を・なぐるに・あらそうこと・なきがごとし・又しなじなの説教はんべれども九界の衆生の心を出でず衆生の心は皆善につけ悪につけて迷を本とするゆへに仏にはならざるか、問うて云く衆生謗ずべきゆへに仏・最初に法華経をとき給はずして四十余年の後に法華経をとき給はば汝なんぞ当世に権経をばとかずして左右なく法華経をといて人に謗をなさせて悪道に堕すや、答えて云く仏在世には仏・菩提樹の下に坐し給いて機をかがみ給うに当時・法華経を説くならば衆生・謗じて悪道に堕ちぬべし、四十余年すぎて後にとかば謗ぜずして初住不退・乃至妙覚にのぼりぬべしと知見しましましき、末代濁世には当機にして初住の位に入るべき人は万に一人もありがたかるべし、又能化の人も仏にあらざれば機をかがみん事もこれかたし、されば逆縁・順縁のために先ず法華経を説くべしと仏ゆるし給へり、但し又滅後なりとも当機衆になりぬべきものには先ず権教をとく事もあるべし、又悲を先とする人は先ず権経をとく釈迦仏のごとし慈を先とする人は先ず実経をとくべし不軽菩薩のごとし、又末代の凡夫はなにとなくとも悪道を免れんことはかたかるべし同じく悪道に堕るならば法華経を謗ぜさせて堕すならば世間の罪をもて堕ちたるには・にるべからず、聞法生謗・堕於地獄・勝於供養・恒沙仏者等の文のごとし、此の文の心は法華経をばうじて地獄に堕ちたるは釈迦仏・阿弥陀仏等の恒河沙

この御書の最初のページ前のページ
タイトル 聖寿 対告衆 述作地
顕謗法抄 41   伊東

日蓮大聖人御書

検索結果詳細 御書本文

顕謗法抄 451ページ

義なり、無量義経には正く四十余年の内に華厳海空と名目を呼び出して四十余年の内にかずへ入れられたり、人師を本とせば仏に背くになりぬ。
 問うて云く法華経をはなれて往生成仏をとげずば仏世に出させ給ては但法華経計をこそ説き給はめ、なんぞ・わづらはしく四十余年の経経を説かせ給うや、答えて云く此の難は仏自ら答え給えり「若し但仏乗を讃せば衆生苦に没在して法を破して信ぜざるが故に三悪道に墜ちなん」等の経文これなり、問うて云くいかなれば爾前の経をば衆生謗ぜざるや、答えて云く爾前の経経は万差なれども束ねて此れを論ずれば随他意と申して衆生の心をとかれてはんべり故に違する事なし、譬へば水に石を・なぐるに・あらそうこと・なきがごとし・又しなじなの説教はんべれども九界の衆生の心を出でず衆生の心は皆善につけ悪につけて迷を本とするゆへに仏にはならざるか、問うて云く衆生謗ずべきゆへに仏・最初に法華経をとき給はずして四十余年の後に法華経をとき給はば汝なんぞ当世に権経をばとかずして左右なく法華経をといて人に謗をなさせて悪道に堕すや、答えて云く仏在世には仏・菩提樹の下に坐し給いて機をかがみ給うに当時・法華経を説くならば衆生・謗じて悪道に堕ちぬべし、四十余年すぎて後にとかば謗ぜずして初住不退・乃至妙覚にのぼりぬべしと知見しましましき、末代濁世には当機にして初住の位に入るべき人は万に一人もありがたかるべし、又能化の人も仏にあらざれば機をかがみん事もこれかたし、されば逆縁・順縁のために先ず法華経を説くべしと仏ゆるし給へり、但し又滅後なりとも当機衆になりぬべきものには先ず権教をとく事もあるべし、又悲を先とする人は先ず権経をとく釈迦仏のごとし慈を先とする人は先ず実経をとくべし不軽菩薩のごとし、又末代の凡夫はなにとなくとも悪道を免れんことはかたかるべし同じく悪道に堕るならば法華経を謗ぜさせて堕すならば世間の罪をもて堕ちたるには・にるべからず、聞法生謗・堕於地獄・勝於供養・恒沙仏者等の文のごとし、此の文の心は法華経をばうじて地獄に堕ちたるは釈迦仏・阿弥陀仏等の恒河沙


  • 自由語検索
※複数入力の場合、単語をスペースで区切ってください。
検索オプション