御書本文
大小有り宗に権実を分かてり鹿苑施小の昔は化城の戸ぼそに導くといへども鷲峯開顕の莚には其の得益更に之れ無し、其の時愚人茫然として居士に問うて云く文証現証実に以て然なりさて何なる法を持つてか生死を離れ速に成仏せんや、居士示して云く我れ在俗の身なれども深く仏道を修行して幼少より多くの人師の語を聞き粗経教をも開き見るに・末代我等が如くなる無悪不造のためには念仏往生の教にしくはなし、されば慧心の僧都は「夫れ往生極楽の教行は濁世末代の目足なり」と云ひ法然上人は諸経の要文を集めて一向専修の念仏を弘め給ふ中にも弥陀の本願は諸仏超過の崇重なり始め無三悪趣の願より終り得三法忍の願に至るまでいづれも悲願目出けれども第十八の願殊に我等が為に殊勝なり、又十悪・五逆をもきらはず一念・多念をもえらばずされば上一人より下万民に至るまで此の宗をもてなし給う事他に異なり又往生の人それ幾ぞや。
其の時愚人の云く実に小を恥じて大を慕ひ浅を去て深に就は仏教の理のみに非ず世間にも是れ法なり我早く彼の宗にうつらんと思ふ委細に彼の旨を語り給へ、彼の仏の悲願の中に五逆・十悪をも簡ばずと云へる五逆とは何等ぞや十悪とは如何、智人の云く五逆とは父を殺し母を殺し阿羅漢を殺し仏身の血を出し和合僧を破す是を五逆と云うなり、十悪とは身に三・口に四・意に三なり身に三とは殺・盗・婬・口に四とは妄語・綺語・悪口・両舌・意に三とは貪・瞋・癡是を十悪と云うなり、愚人云く我今解しぬ今日よりは他力往生に憑を懸くべきなり、爰に愚人又云く以ての外盛に・いみじき密宗の行人あり是も予が歎きを訪わんが為に来臨して始には狂言綺語のことはりを示し終には顕密二宗の法門を談じて予に問うて云く抑汝は何なる仏法をか修行し何なる経論をか読誦し奉るや、予答えて云く我一日或る居士の教に依つて浄土の三部経を読み奉り西方極楽の教主に憑を深く懸くるなり、行者の云く仏教に二種有り一には顕教・二には密教なり顕教の極理は密教の初門にも及ばずと云云、汝が執心の法を聞けば釈迦の顕教なり我が所持の法は大日覚王の秘法なり、実に三界の火宅を恐れ寂光の宝台を願はば須く顕教
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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聖愚問答抄上 | 44 | 鎌倉 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
聖愚問答抄上 477ページ
大小有り宗に権実を分かてり鹿苑施小の昔は化城の戸ぼそに導くといへども鷲峯開顕の莚には其の得益更に之れ無し、其の時愚人茫然として居士に問うて云く文証現証実に以て然なりさて何なる法を持つてか生死を離れ速に成仏せんや、居士示して云く我れ在俗の身なれども深く仏道を修行して幼少より多くの人師の語を聞き粗経教をも開き見るに・末代我等が如くなる無悪不造のためには念仏往生の教にしくはなし、されば慧心の僧都は「夫れ往生極楽の教行は濁世末代の目足なり」と云ひ法然上人は諸経の要文を集めて一向専修の念仏を弘め給ふ中にも弥陀の本願は諸仏超過の崇重なり始め無三悪趣の願より終り得三法忍の願に至るまでいづれも悲願目出けれども第十八の願殊に我等が為に殊勝なり、又十悪・五逆をもきらはず一念・多念をもえらばずされば上一人より下万民に至るまで此の宗をもてなし給う事他に異なり又往生の人それ幾ぞや。
其の時愚人の云く実に小を恥じて大を慕ひ浅を去て深に就は仏教の理のみに非ず世間にも是れ法なり我早く彼の宗にうつらんと思ふ委細に彼の旨を語り給へ、彼の仏の悲願の中に五逆・十悪をも簡ばずと云へる五逆とは何等ぞや十悪とは如何、智人の云く五逆とは父を殺し母を殺し阿羅漢を殺し仏身の血を出し和合僧を破す是を五逆と云うなり、十悪とは身に三・口に四・意に三なり身に三とは殺・盗・婬・口に四とは妄語・綺語・悪口・両舌・意に三とは貪・瞋・癡是を十悪と云うなり、愚人云く我今解しぬ今日よりは他力往生に憑を懸くべきなり、爰に愚人又云く以ての外盛に・いみじき密宗の行人あり是も予が歎きを訪わんが為に来臨して始には狂言綺語のことはりを示し終には顕密二宗の法門を談じて予に問うて云く抑汝は何なる仏法をか修行し何なる経論をか読誦し奉るや、予答えて云く我一日或る居士の教に依つて浄土の三部経を読み奉り西方極楽の教主に憑を深く懸くるなり、行者の云く仏教に二種有り一には顕教・二には密教なり顕教の極理は密教の初門にも及ばずと云云、汝が執心の法を聞けば釈迦の顕教なり我が所持の法は大日覚王の秘法なり、実に三界の火宅を恐れ寂光の宝台を願はば須く顕教
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