御書本文

聖愚問答抄上
478ページ

を捨てて密教につくべし。
 愚人驚いて云く我いまだ顕密二道と云う事を聞かず何なるを顕教と云ひ何なるを密教と云へるや、行者の云く予は是れ頑愚にして敢て賢を存ぜず然りと雖も今一二の文を挙げて汝が矇昧を挑げん、顕教とは舎利弗等の請に依つて応身如来の説き給う諸教なり密教とは自受法楽の為に法身大日如来の金剛薩埵を所化として説き給う処の大日経等の三部なり、愚人の云く実に以て然なり先非をひるがへして賢き教に付き奉らんと思うなり。
 又爰に萍のごとく諸州を回り蓬のごとく県県に転ずる非人のそれとも知らず来り門の柱に寄り立ちて含笑語る事なし、あやしみを・なして是を問うに始めには云う事なし後に強て問を立つる時・彼が云く月蒼蒼として風忙忙たりと、形質常に異に言語又通ぜず其の至極を尋れば当世の禅法是なり、予彼の人の有様を見・其の言語を聞きて仏道の良因を問う時、非人の云く修多羅の教は月をさす指・教網は是れ言語にとどこほる妄事なり我が心の本分におちつかんと出立法は其の名を禅と云うなり、愚人云く願くは我聞んと思ふ、非人の云く実に其の志深くば壁に向い坐禅して本心の月を澄ましめよ爰を以て西天には二十八祖系乱れず東土には六祖の相伝明白なり、汝是を悟らずして教網にかかる不便不便、是心即仏・即心是仏なれば此の身の外に更に何にか仏あらんや。
 愚人此の語を聞いてつくづくと諸法を観じ閑かに義理を案じて云く仏教万差にして理非明らめ難し宜なるかな常啼は東に請い善財は南に求め薬王は臂を焼き楽法は皮を剝ぐ善知識実に値い難し、或は教内と談じ或は教外と云う・此のことはりを思うに未だ淵底を究めず・法水に臨む者は深淵の思いを懐き人師を見る族は薄冰の心を成せり、爰を以て金言には依法不依人と定め又爪上土の譬あり若し仏法の真偽をしる人あらば尋ねて師とすべし求めて崇べし、夫れ人界に生を受くるを天上の糸にたとへ仏法の視聴は浮木の穴に類せり、身を軽くして法を重んずべしと思うに依つて衆山に攀歎きに引れて諸寺を回る足に任せて一つの巌窟に至るに後には青山峨峨として松

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
聖愚問答抄上 44   鎌倉

日蓮大聖人御書

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聖愚問答抄上 478ページ

を捨てて密教につくべし。
 愚人驚いて云く我いまだ顕密二道と云う事を聞かず何なるを顕教と云ひ何なるを密教と云へるや、行者の云く予は是れ頑愚にして敢て賢を存ぜず然りと雖も今一二の文を挙げて汝が矇昧を挑げん、顕教とは舎利弗等の請に依つて応身如来の説き給う諸教なり密教とは自受法楽の為に法身大日如来の金剛薩埵を所化として説き給う処の大日経等の三部なり、愚人の云く実に以て然なり先非をひるがへして賢き教に付き奉らんと思うなり。
 又爰に萍のごとく諸州を回り蓬のごとく県県に転ずる非人のそれとも知らず来り門の柱に寄り立ちて含笑語る事なし、あやしみを・なして是を問うに始めには云う事なし後に強て問を立つる時・彼が云く月蒼蒼として風忙忙たりと、形質常に異に言語又通ぜず其の至極を尋れば当世の禅法是なり、予彼の人の有様を見・其の言語を聞きて仏道の良因を問う時、非人の云く修多羅の教は月をさす指・教網は是れ言語にとどこほる妄事なり我が心の本分におちつかんと出立法は其の名を禅と云うなり、愚人云く願くは我聞んと思ふ、非人の云く実に其の志深くば壁に向い坐禅して本心の月を澄ましめよ爰を以て西天には二十八祖系乱れず東土には六祖の相伝明白なり、汝是を悟らずして教網にかかる不便不便、是心即仏・即心是仏なれば此の身の外に更に何にか仏あらんや。
 愚人此の語を聞いてつくづくと諸法を観じ閑かに義理を案じて云く仏教万差にして理非明らめ難し宜なるかな常啼は東に請い善財は南に求め薬王は臂を焼き楽法は皮を剝ぐ善知識実に値い難し、或は教内と談じ或は教外と云う・此のことはりを思うに未だ淵底を究めず・法水に臨む者は深淵の思いを懐き人師を見る族は薄冰の心を成せり、爰を以て金言には依法不依人と定め又爪上土の譬あり若し仏法の真偽をしる人あらば尋ねて師とすべし求めて崇べし、夫れ人界に生を受くるを天上の糸にたとへ仏法の視聴は浮木の穴に類せり、身を軽くして法を重んずべしと思うに依つて衆山に攀歎きに引れて諸寺を回る足に任せて一つの巌窟に至るに後には青山峨峨として松


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