御書本文

聖愚問答抄上
479ページ

風・常楽我浄を奏し前には碧水湯湯として岸うつ波・四徳波羅蜜を響かす深谷に開敷せる花も中道実相の色を顕し広野に綻ぶる梅も界如三千の薫を添ふ言語道断・心行所滅せり謂つ可し商山の四皓の所居とも又知らず古仏経行の迹なるか、景雲朝に立ち霊光夕に現ず嗚呼心を以て計るべからず詞を以て宣ぶべからず、予此の砌に沈吟とさまよひ彷徨とたちもとをり徙倚とたたずむ、此処に忽然として一の聖人坐す其の行儀を拝すれば法華読誦の声深く心肝に染みて閑窻の戸ぼそを伺へば玄義の牀に臂をくだす、爰に聖人予が求法の志を酌知て詞を和げ予に問うて云く汝なにに依つて此の深山の窟に至れるや、予答えて云く生をかろくして法をおもくする者なり、聖人問て云く其の行法如何、予答えて云く本より我は俗塵に交りて未だ出離を弁えず、適善知識に値て始には律・次には念仏・真言・並に禅・此等を聞くといへども未だ真偽を弁えず、聖人云く汝が詞を聞くに実に以て然なり身をかろくして法をおもくするは先聖の教へ予が存ずるところなり、抑上は非想の雲の上・下は那落の底までも生を受けて死をまぬかるる者やはある、然れば外典のいやしきをしえにも朝に紅顔有つて世路に誇るとも夕には白骨と為つて郊原に朽ちぬと云へり、雲上に交つて雲のびんづら・あざやかに廻雪たもと・を・ひるがへすとも其の楽みをおもへば夢の中の夢なり、山のふもと蓬がもとはつゐの栖なり玉の台・錦の帳も後世の道にはなにかせん、小野の小町・衣通姫が花の姿も無常の風に散り・樊噲・張良が武芸に達せしも獄卒の杖をかなしむ、されば心ありし古人の云くあはれなり鳥べの山の夕煙をくる人とて・とまるべきかは、末のつゆ本のしづくや世の中の・をくれさきだつためしなるらん、先亡後滅の理り始めて驚くべきにあらず願ふても願ふべきは仏道・求めても求むべきは経教なり、抑汝が云うところの法門をきけば或は小乗・或は大乗・位の高下は且らく之を置く還つて悪道の業たるべし。
 爰に愚人驚いて云く如来一代の聖教はいづれも衆生を利せんが為なり、始め七処・八会の筵より終り跋提河の儀式まで何れか釈尊の所説ならざる設ひ一分の勝劣をば判ずとも何ぞ悪道の因と云べきや、聖人云く如来一代の

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
聖愚問答抄上 44   鎌倉

日蓮大聖人御書

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聖愚問答抄上 479ページ

風・常楽我浄を奏し前には碧水湯湯として岸うつ波・四徳波羅蜜を響かす深谷に開敷せる花も中道実相の色を顕し広野に綻ぶる梅も界如三千の薫を添ふ言語道断・心行所滅せり謂つ可し商山の四皓の所居とも又知らず古仏経行の迹なるか、景雲朝に立ち霊光夕に現ず嗚呼心を以て計るべからず詞を以て宣ぶべからず、予此の砌に沈吟とさまよひ彷徨とたちもとをり徙倚とたたずむ、此処に忽然として一の聖人坐す其の行儀を拝すれば法華読誦の声深く心肝に染みて閑窻の戸ぼそを伺へば玄義の牀に臂をくだす、爰に聖人予が求法の志を酌知て詞を和げ予に問うて云く汝なにに依つて此の深山の窟に至れるや、予答えて云く生をかろくして法をおもくする者なり、聖人問て云く其の行法如何、予答えて云く本より我は俗塵に交りて未だ出離を弁えず、適善知識に値て始には律・次には念仏・真言・並に禅・此等を聞くといへども未だ真偽を弁えず、聖人云く汝が詞を聞くに実に以て然なり身をかろくして法をおもくするは先聖の教へ予が存ずるところなり、抑上は非想の雲の上・下は那落の底までも生を受けて死をまぬかるる者やはある、然れば外典のいやしきをしえにも朝に紅顔有つて世路に誇るとも夕には白骨と為つて郊原に朽ちぬと云へり、雲上に交つて雲のびんづら・あざやかに廻雪たもと・を・ひるがへすとも其の楽みをおもへば夢の中の夢なり、山のふもと蓬がもとはつゐの栖なり玉の台・錦の帳も後世の道にはなにかせん、小野の小町・衣通姫が花の姿も無常の風に散り・樊噲・張良が武芸に達せしも獄卒の杖をかなしむ、されば心ありし古人の云くあはれなり鳥べの山の夕煙をくる人とて・とまるべきかは、末のつゆ本のしづくや世の中の・をくれさきだつためしなるらん、先亡後滅の理り始めて驚くべきにあらず願ふても願ふべきは仏道・求めても求むべきは経教なり、抑汝が云うところの法門をきけば或は小乗・或は大乗・位の高下は且らく之を置く還つて悪道の業たるべし。
 爰に愚人驚いて云く如来一代の聖教はいづれも衆生を利せんが為なり、始め七処・八会の筵より終り跋提河の儀式まで何れか釈尊の所説ならざる設ひ一分の勝劣をば判ずとも何ぞ悪道の因と云べきや、聖人云く如来一代の


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