御書本文

聖愚問答抄下
490ページ

に頸の中に血無く只乳のみ出ずべし、是の時に仏法を相伝せん人絶ゆべしと定められたり、案の如く仏の御言違わず師子尊者・頸をきられ給う事・実に以て爾なり、王のかいな共につれて落ち畢んぬ、二十八祖を立つる事・甚以て僻見なり禅の僻事是より興るなるべし、今慧能が壇経に二十八祖を立つる事は達磨を高祖と定むる時師子と達磨との年紀遙かなる間・三人の禅師を私に作り入れて天竺より来れる付法蔵・系乱れずと云うて人に重んぜさせん為の僻事なり此の事異朝にして事旧りぬ、補註の十一に云く「今家は二十三祖を承用す豈悞有らんや、若し二十八祖を立つるは未だ所出の翻訳を見ざるなり、近来更に石に刻み版に鏤め七仏二十八祖を図状し各一偈を以て伝授相付すること有り嗚呼仮託何ぞ其れ甚だしきや識者力有らば宜しく斯の弊を革むべし」是も二十八祖を立て石にきざみ版にちりばめて伝うる事・甚だ以て誤れり此の事を知る人あらば此の誤をあらためなをせとなり、祖師禅甚だ僻事なる事是にあり先に引く所の大梵天王問仏決疑経の文を教外別伝の証拠に汝之を引く既に自語相違せり、其の上此の経は説相権教なり又開元貞元の再度の目録にも全く載せず是録外の経なる上・権教と見えたり、然れば世間の学者用ゐざるところなり証拠とするにたらず。
 抑今の法華経を説かるる時・益をうる輩・迹門界如三千の時・敗種の二乗仏種を萠す四十二年の間は永不成仏と嫌はれて在在処処の集会にして罵詈誹謗の音をのみ聞き人天大会に思いうとまれて既に飢え死ぬべかりし人人も今の経に来つて舎利弗は華光如来・目連は多摩羅跋栴檀香如来・阿難は山海慧自在通王仏・羅睺羅は蹋七宝華如来・五百の羅漢は普明如来・二千の声聞は宝相如来の記莂に予る・顕本遠寿の日は微塵数の菩薩増道損生して位大覚に鄰る、されば天台大師の釈を披見するに他経には菩薩は仏になると云つて二乗の得道は永く之れ無し、善人は仏になると云つて悪人の成仏を明さず男子は仏になると説いて女人は地獄の使と定む人天は仏になると云つて畜類は仏になるといはず、然るを今の経は是等が皆仏になると説くたのもしきかな末代濁世に生を受くといへども提

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
聖愚問答抄下 44   鎌倉

日蓮大聖人御書

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聖愚問答抄下 490ページ

に頸の中に血無く只乳のみ出ずべし、是の時に仏法を相伝せん人絶ゆべしと定められたり、案の如く仏の御言違わず師子尊者・頸をきられ給う事・実に以て爾なり、王のかいな共につれて落ち畢んぬ、二十八祖を立つる事・甚以て僻見なり禅の僻事是より興るなるべし、今慧能が壇経に二十八祖を立つる事は達磨を高祖と定むる時師子と達磨との年紀遙かなる間・三人の禅師を私に作り入れて天竺より来れる付法蔵・系乱れずと云うて人に重んぜさせん為の僻事なり此の事異朝にして事旧りぬ、補註の十一に云く「今家は二十三祖を承用す豈悞有らんや、若し二十八祖を立つるは未だ所出の翻訳を見ざるなり、近来更に石に刻み版に鏤め七仏二十八祖を図状し各一偈を以て伝授相付すること有り嗚呼仮託何ぞ其れ甚だしきや識者力有らば宜しく斯の弊を革むべし」是も二十八祖を立て石にきざみ版にちりばめて伝うる事・甚だ以て誤れり此の事を知る人あらば此の誤をあらためなをせとなり、祖師禅甚だ僻事なる事是にあり先に引く所の大梵天王問仏決疑経の文を教外別伝の証拠に汝之を引く既に自語相違せり、其の上此の経は説相権教なり又開元貞元の再度の目録にも全く載せず是録外の経なる上・権教と見えたり、然れば世間の学者用ゐざるところなり証拠とするにたらず。
 抑今の法華経を説かるる時・益をうる輩・迹門界如三千の時・敗種の二乗仏種を萠す四十二年の間は永不成仏と嫌はれて在在処処の集会にして罵詈誹謗の音をのみ聞き人天大会に思いうとまれて既に飢え死ぬべかりし人人も今の経に来つて舎利弗は華光如来・目連は多摩羅跋栴檀香如来・阿難は山海慧自在通王仏・羅睺羅は蹋七宝華如来・五百の羅漢は普明如来・二千の声聞は宝相如来の記莂に予る・顕本遠寿の日は微塵数の菩薩増道損生して位大覚に鄰る、されば天台大師の釈を披見するに他経には菩薩は仏になると云つて二乗の得道は永く之れ無し、善人は仏になると云つて悪人の成仏を明さず男子は仏になると説いて女人は地獄の使と定む人天は仏になると云つて畜類は仏になるといはず、然るを今の経は是等が皆仏になると説くたのもしきかな末代濁世に生を受くといへども提


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