御書本文
依ると云はば大乗か小乗か権教か実教か能く能く弁ふべし、或は経を用いるには禅宗も楞伽経・首楞厳経・金剛般若経等による是れ皆法華已前の権教・覆蔵の説なり、只諸経に是心即仏・即心是仏等の理の方を説ける一両の文と句とに迷いて大小・権実・顕露・覆蔵をも尋ねず、只不二を立てて而二を知らず謂己均仏の大慢を成せり、彼の月氏の大慢が迹をつぎ此の尸那の三階禅師が古風を追う然りと雖も大慢は生ながら無間に入り三階は死して大蛇と成りぬをそろし・をそろし、釈尊は三世了達の解了・朗かに妙覚果満の智月潔くして未来を鑒みたまい像法決疑経に記して云く「諸の悪比丘或は禅を修する有つて経論に依らず自ら己見を逐つて非を以て是と為し是邪是正と分別すること能わず徧く道俗に向つて是くの如き言を作さく我能く是を知り我能く是を見ると当に知るべし此の人は速かに我法を滅す」と、此の文の意は諸悪比丘あつて禅を信仰して経論をも尋ねず邪見を本として法門の是非をば弁えずして而も男女・尼法師等に向つて我よく法門を知れり人はしらずと云つて此の禅を弘むべし、当に知るべし此の人は我が正法を滅すべしとなり、此の文をもつて当世を見るに宛も符契の如し汝慎むべし汝畏るべし、先に談ずる所の天竺に二十八祖有つて此の法門を口伝すと云う事其の証拠何に出でたるや仏法を相伝する人・二十四人・或は二十三人と見えたり、然るを二十八祖と立つる事・所出の翻訳何にかある全く見えざるところなり、此の付法蔵の人の事・私に書くべきにあらず如来の記文分明なり、其の付法蔵伝に云く「復比丘有り名けて師子と曰う罽賓国に於て大に仏事を作す、時に彼の国王をば弥羅掘と名け邪見熾盛にして心に敬信無く罽賓国に於て塔寺を毀壊し衆僧を殺害す、即ち利剣を以て用いて師子を斬る頸の中血無く唯乳のみ流出す法を相付する人是に於て便ち絶えん」此の文の意は仏我が入涅槃の後に我が法を相伝する人二十四人あるべし其の中に最後・弘通の人に当るをば師子比丘と云わん、罽賓国と云う国にて我が法を弘むべし彼の国の王をば檀弥羅王と云うべし邪見放逸にして仏法を信ぜず衆僧を敬はず堂塔を破り失ひ剣をもつて諸僧の頸を切るべし即師子比丘の頸をきらん時
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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聖愚問答抄下 | 44 | 鎌倉 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
聖愚問答抄下 489ページ
依ると云はば大乗か小乗か権教か実教か能く能く弁ふべし、或は経を用いるには禅宗も楞伽経・首楞厳経・金剛般若経等による是れ皆法華已前の権教・覆蔵の説なり、只諸経に是心即仏・即心是仏等の理の方を説ける一両の文と句とに迷いて大小・権実・顕露・覆蔵をも尋ねず、只不二を立てて而二を知らず謂己均仏の大慢を成せり、彼の月氏の大慢が迹をつぎ此の尸那の三階禅師が古風を追う然りと雖も大慢は生ながら無間に入り三階は死して大蛇と成りぬをそろし・をそろし、釈尊は三世了達の解了・朗かに妙覚果満の智月潔くして未来を鑒みたまい像法決疑経に記して云く「諸の悪比丘或は禅を修する有つて経論に依らず自ら己見を逐つて非を以て是と為し是邪是正と分別すること能わず徧く道俗に向つて是くの如き言を作さく我能く是を知り我能く是を見ると当に知るべし此の人は速かに我法を滅す」と、此の文の意は諸悪比丘あつて禅を信仰して経論をも尋ねず邪見を本として法門の是非をば弁えずして而も男女・尼法師等に向つて我よく法門を知れり人はしらずと云つて此の禅を弘むべし、当に知るべし此の人は我が正法を滅すべしとなり、此の文をもつて当世を見るに宛も符契の如し汝慎むべし汝畏るべし、先に談ずる所の天竺に二十八祖有つて此の法門を口伝すと云う事其の証拠何に出でたるや仏法を相伝する人・二十四人・或は二十三人と見えたり、然るを二十八祖と立つる事・所出の翻訳何にかある全く見えざるところなり、此の付法蔵の人の事・私に書くべきにあらず如来の記文分明なり、其の付法蔵伝に云く「復比丘有り名けて師子と曰う罽賓国に於て大に仏事を作す、時に彼の国王をば弥羅掘と名け邪見熾盛にして心に敬信無く罽賓国に於て塔寺を毀壊し衆僧を殺害す、即ち利剣を以て用いて師子を斬る頸の中血無く唯乳のみ流出す法を相付する人是に於て便ち絶えん」此の文の意は仏我が入涅槃の後に我が法を相伝する人二十四人あるべし其の中に最後・弘通の人に当るをば師子比丘と云わん、罽賓国と云う国にて我が法を弘むべし彼の国の王をば檀弥羅王と云うべし邪見放逸にして仏法を信ぜず衆僧を敬はず堂塔を破り失ひ剣をもつて諸僧の頸を切るべし即師子比丘の頸をきらん時
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