御書本文

三論宗御書
691ページ

三論宗御書

 三論宗御書

 三論宗の始めて日本に渡りしは三十四代推古の御宇治す十年壬戌の十月・百済の僧・観勒之を渡す、日本記の太子の伝を見るに異義無し、但し三十七代との事は流布の始めなり、天台宗・律宗の渡れる事は天平勝宝六年甲午二月十六日丁未・乃至四月に京に入り東大寺に入る天台止観等云云、諸伝之に同じ、人王第四十六代孝謙天皇の御宇なり聖武は義謬りなり書き直す可きか、戒壇は以て前に同じ、大日経の日本に渡れる事は弘法の遺告に云く「件の経王は大日本国高市郡久米道場の東塔の下に在り」云云、此れ又元政天皇の御宇なり、法華経の渡り始めし事は人王第三十四代推古の四年なり、太子・恵慈法師に謂つて曰く「法華経の中に此の句・落字」と云云、太子使を漢土に遣わし已前の法華経・此の国に有るか、惟れ知んぬ欽明の御宇に渡る所の経の中に法華経有るなり、但し自ら御不審有る大事は所謂日本記に云く「欽明天皇十三年壬申冬十月十三日辛酉百済国聖明王始めて金銅釈迦像一軀を献ず」等云云、善光寺流記に云く「阿弥陀並びに観音・勢至・欽明天皇の御宇治天下十三年壬申十月十三日辛酉・百済国の明王・件の仏・菩薩・頂戴」と云云、相違欲(已下欠)

前のページ
タイトル 聖寿 対告衆 述作地
三論宗御書      

日蓮大聖人御書

検索結果詳細 御書本文

三論宗御書 691ページ

三論宗御書

 三論宗御書

 三論宗の始めて日本に渡りしは三十四代推古の御宇治す十年壬戌の十月・百済の僧・観勒之を渡す、日本記の太子の伝を見るに異義無し、但し三十七代との事は流布の始めなり、天台宗・律宗の渡れる事は天平勝宝六年甲午二月十六日丁未・乃至四月に京に入り東大寺に入る天台止観等云云、諸伝之に同じ、人王第四十六代孝謙天皇の御宇なり聖武は義謬りなり書き直す可きか、戒壇は以て前に同じ、大日経の日本に渡れる事は弘法の遺告に云く「件の経王は大日本国高市郡久米道場の東塔の下に在り」云云、此れ又元政天皇の御宇なり、法華経の渡り始めし事は人王第三十四代推古の四年なり、太子・恵慈法師に謂つて曰く「法華経の中に此の句・落字」と云云、太子使を漢土に遣わし已前の法華経・此の国に有るか、惟れ知んぬ欽明の御宇に渡る所の経の中に法華経有るなり、但し自ら御不審有る大事は所謂日本記に云く「欽明天皇十三年壬申冬十月十三日辛酉百済国聖明王始めて金銅釈迦像一軀を献ず」等云云、善光寺流記に云く「阿弥陀並びに観音・勢至・欽明天皇の御宇治天下十三年壬申十月十三日辛酉・百済国の明王・件の仏・菩薩・頂戴」と云云、相違欲(已下欠)


  • 自由語検索
※複数入力の場合、単語をスペースで区切ってください。
検索オプション