御書本文
御義口伝に云く此の菩薩とは九界の第九に居したる菩薩なり又一切衆生を菩薩と云うなり今日蓮等の類いなり、又諸天善神等迄も是れ菩薩なり正直とは煩悩即菩提生死即涅槃なり、さて一道とは南無妙法蓮華経なり今末法にして正直の一道を弘むる者は日蓮等の類いに非ずや。
第八当来世悪人聞仏説一乗迷惑不信受破法堕悪道の事
御義口伝に云く当来世とは末法なり悪人とは法然・弘法・慈覚・智証等なり、仏とは日蓮等の類いなり一乗とは妙法蓮華経なり不信の故に三悪道に堕す可きなり。
譬喩品九箇の大事
第一譬喩品の事 文句の五に云く譬とは比況なり喩とは暁訓なり大悲息まず巧智無辺なれば更に樹を動かして風を訓え扇を挙げて月を喩すと。
御義口伝に云く大悲とは母の子を思う慈悲の如し今日蓮等の慈悲なり、章安云く「彼の為に悪を除くは即是れ彼の親」と、巧智とは南無妙法蓮華経なり諸宗無得道の立義なり巧於難問答の意なり更とは在世に次で滅後の事と意得可きなり、樹を動すとは煩悩なり風を訓るとは即菩提なり扇を挙ぐとは生死なり月を喩すとは即涅槃なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時大白牛車に乗じて直至道場するなり、記の五に云く「樹と扇と風と月とは唯円教の理なり」と又云く「法説の実相は何ぞ隠れ何ぞ顕れんや長風息むこと靡く空月常に懸れり」と此釈之を思う可し、隠とは死なり顕とは生なり長風とは我等が息なり空月とは心月なり法華の生死とは三世常恒にして隠顕之無し我等が息風とは吐く処の言語なり是南無妙法蓮華経なり、一心法界の覚月常住にして懸れり是を指して唯円教の理と釈せり円とは法界なり教とは三千羅列なり理とは実相の一理なり云云。
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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御義口伝巻上 | 身延 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
御義口伝巻上 721ページ
御義口伝に云く此の菩薩とは九界の第九に居したる菩薩なり又一切衆生を菩薩と云うなり今日蓮等の類いなり、又諸天善神等迄も是れ菩薩なり正直とは煩悩即菩提生死即涅槃なり、さて一道とは南無妙法蓮華経なり今末法にして正直の一道を弘むる者は日蓮等の類いに非ずや。
第八当来世悪人聞仏説一乗迷惑不信受破法堕悪道の事
御義口伝に云く当来世とは末法なり悪人とは法然・弘法・慈覚・智証等なり、仏とは日蓮等の類いなり一乗とは妙法蓮華経なり不信の故に三悪道に堕す可きなり。
譬喩品九箇の大事
第一譬喩品の事 文句の五に云く譬とは比況なり喩とは暁訓なり大悲息まず巧智無辺なれば更に樹を動かして風を訓え扇を挙げて月を喩すと。
御義口伝に云く大悲とは母の子を思う慈悲の如し今日蓮等の慈悲なり、章安云く「彼の為に悪を除くは即是れ彼の親」と、巧智とは南無妙法蓮華経なり諸宗無得道の立義なり巧於難問答の意なり更とは在世に次で滅後の事と意得可きなり、樹を動すとは煩悩なり風を訓るとは即菩提なり扇を挙ぐとは生死なり月を喩すとは即涅槃なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時大白牛車に乗じて直至道場するなり、記の五に云く「樹と扇と風と月とは唯円教の理なり」と又云く「法説の実相は何ぞ隠れ何ぞ顕れんや長風息むこと靡く空月常に懸れり」と此釈之を思う可し、隠とは死なり顕とは生なり長風とは我等が息なり空月とは心月なり法華の生死とは三世常恒にして隠顕之無し我等が息風とは吐く処の言語なり是南無妙法蓮華経なり、一心法界の覚月常住にして懸れり是を指して唯円教の理と釈せり円とは法界なり教とは三千羅列なり理とは実相の一理なり云云。
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