御書本文
第十一摂諸大衆皆在虚空の事
御義口伝に云く大衆とは聴衆なり皆在虚空とは我等が死の相なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は生死即涅槃と開覚するを皆在虚空と説くなり生死即涅槃と被摂するなり、大地は色法なり虚空は心法なり色心不二と心得可きなり虚空とは寂光土なり、又云く虚空とは蓮華なり経とは大地なり妙法は天なり虚空とは中なり一切衆生の内・菩薩・蓮華に座するなり、此れを妙法蓮華経と説かれたり、経に云く「若在仏前蓮華化生」と。
第十二譬如大風吹小樹枝の事
御義口伝に云く此の偈頌の如清凉池と譬如大風と燃大炬火とは三身なり、其の中に譬如大風とは題目の五字なり吹小樹枝とは折伏門なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり。
第十三若有能持則持仏身の事
御義口伝に云く法華経を持ち奉るとは我が身仏身と持つなり、則の一字は生仏不二なり上の能持の持は凡夫なり持つ体は妙法の五字なり仏身を持つと云うは一一文文皆金色仏体の故なり、さて仏身を持つとは我が身の外に仏無しと持つを云うなり、理即の凡夫と究竟即の仏と二無きなり即の字は即故初後不二の故なり云云。
第十四此経難持の事
御義口伝に云く此の法華経を持つ者は難に遇わんと心得て持つなり、されば即為疾得無上仏道の成仏は今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり云云。
第十五我則歓喜諸仏亦然の事
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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御義口伝巻上 | 身延 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
御義口伝巻上 742ページ
第十一摂諸大衆皆在虚空の事
御義口伝に云く大衆とは聴衆なり皆在虚空とは我等が死の相なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は生死即涅槃と開覚するを皆在虚空と説くなり生死即涅槃と被摂するなり、大地は色法なり虚空は心法なり色心不二と心得可きなり虚空とは寂光土なり、又云く虚空とは蓮華なり経とは大地なり妙法は天なり虚空とは中なり一切衆生の内・菩薩・蓮華に座するなり、此れを妙法蓮華経と説かれたり、経に云く「若在仏前蓮華化生」と。
第十二譬如大風吹小樹枝の事
御義口伝に云く此の偈頌の如清凉池と譬如大風と燃大炬火とは三身なり、其の中に譬如大風とは題目の五字なり吹小樹枝とは折伏門なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり。
第十三若有能持則持仏身の事
御義口伝に云く法華経を持ち奉るとは我が身仏身と持つなり、則の一字は生仏不二なり上の能持の持は凡夫なり持つ体は妙法の五字なり仏身を持つと云うは一一文文皆金色仏体の故なり、さて仏身を持つとは我が身の外に仏無しと持つを云うなり、理即の凡夫と究竟即の仏と二無きなり即の字は即故初後不二の故なり云云。
第十四此経難持の事
御義口伝に云く此の法華経を持つ者は難に遇わんと心得て持つなり、されば即為疾得無上仏道の成仏は今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり云云。
第十五我則歓喜諸仏亦然の事
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