御書本文

御義口伝巻下
767ページ

して動かざること無きが如し」等と釈する此の意なり、妙楽大師は「略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む」と、此等を心得ざる者は末法の弘通に足らざる者なり。
第十六此品の時の不軽菩薩の体の事
御義口伝に云く不軽菩薩とは十界の衆生なり、三世常住の礼拝の行を立つるなり吐く所の語言は妙法の音声なり、獄卒が杖を取つて罪人を呵責するが体の礼拝なり敢て軽慢せざるなり、罪人我を責め成すと思えば不軽菩薩を呵責するなり折伏の行是なり。
第十七不軽菩薩の礼拝住処の事 之に付て十四箇所の礼拝住処の事之有り
御義口伝に云く礼拝の住処とは多宝塔中の礼拝なり、其の故は塔婆とは五大の所成なり五大とは地水火風空なり此れを多宝の塔とも云うなり、法界広しと雖も此の五大には過ぎざるなり故に塔中の礼拝と相伝するなり秘す可し秘す可し云云。
第十八開示悟入礼拝住処の事
御義口伝に云く開示悟入の四仏知見を住処とするなり、然る間方便品の此の文を礼拝の住処と云うなり此れは内に不軽の解を懐くと釈せり、解とは正因仏性を具足すと釈するなり開仏知見とは此の仏性を開かしめんとて仏は出現し給うなり。
第十九毎自作是念の文礼拝住処の事
御義口伝に云く毎の字は三世なり念とは一切衆生の仏性を念じ給いしなり、仍つて速成就仏身と皆当作仏とは同じき事なり仍つて此の一文を相伝せり、天台大師は「開三顕一○開近顕遠」と釈せり秘す可し秘す可し云云。

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
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日蓮大聖人御書

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御義口伝巻下 767ページ

して動かざること無きが如し」等と釈する此の意なり、妙楽大師は「略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む」と、此等を心得ざる者は末法の弘通に足らざる者なり。
第十六此品の時の不軽菩薩の体の事
御義口伝に云く不軽菩薩とは十界の衆生なり、三世常住の礼拝の行を立つるなり吐く所の語言は妙法の音声なり、獄卒が杖を取つて罪人を呵責するが体の礼拝なり敢て軽慢せざるなり、罪人我を責め成すと思えば不軽菩薩を呵責するなり折伏の行是なり。
第十七不軽菩薩の礼拝住処の事 之に付て十四箇所の礼拝住処の事之有り
御義口伝に云く礼拝の住処とは多宝塔中の礼拝なり、其の故は塔婆とは五大の所成なり五大とは地水火風空なり此れを多宝の塔とも云うなり、法界広しと雖も此の五大には過ぎざるなり故に塔中の礼拝と相伝するなり秘す可し秘す可し云云。
第十八開示悟入礼拝住処の事
御義口伝に云く開示悟入の四仏知見を住処とするなり、然る間方便品の此の文を礼拝の住処と云うなり此れは内に不軽の解を懐くと釈せり、解とは正因仏性を具足すと釈するなり開仏知見とは此の仏性を開かしめんとて仏は出現し給うなり。
第十九毎自作是念の文礼拝住処の事
御義口伝に云く毎の字は三世なり念とは一切衆生の仏性を念じ給いしなり、仍つて速成就仏身と皆当作仏とは同じき事なり仍つて此の一文を相伝せり、天台大師は「開三顕一○開近顕遠」と釈せり秘す可し秘す可し云云。


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