御書本文
第二十我本行菩薩道の文礼拝住処の事
御義口伝に云く我とは本因妙の時を指すなり、本行菩薩道の文は不軽菩薩なり此れを礼拝の住処と指すなり。
第廿一生老病死礼拝住処の事
御義口伝に云く一切衆生生老病死を厭離せず無常遷滅の当体に迷うに依つて後世菩提を覚知せざるなり、此を示す時煩悩即菩提生死即涅槃と教うる当体を礼拝と云うなり、左右の両の手を開く時は煩悩生死上慢不軽各別なり、礼拝する時両の手を合するは煩悩即菩提生死即涅槃なり、上慢の四衆の所具の仏性も不軽所具の仏性も一種の妙法なりと礼拝するなり云云。
第廿二法性礼拝住処の事
御義口伝に云く不軽菩薩・法性真如の三因仏性・南無妙法蓮華経の廿四字に足立て無明の上慢の四衆を拝するは薀在衆生の仏性を礼拝するなり云云。
第廿三無明礼拝住処の事
御義口伝に云く自他の隔意を立て彼は上慢の四衆・我は不軽と云う、不軽は善人・上慢は悪人と善悪を立つるは無明なり、此に立つて礼拝の行を成す時善悪不二・邪正一如の南無妙法蓮華経と礼拝するなり云云。
第廿四蓮華の二字礼拝住処の事
御義口伝に云く蓮華とは因果の二法なり、悪因あれば悪果を感じ善因あれば善果を感ず内証には汝等三因仏性の善因あり、事に顕す時は善果と成つて皆当作仏す可しと礼拝し給うなり云云。
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
---|---|---|---|
御義口伝巻下 | 身延 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
御義口伝巻下 768ページ
第二十我本行菩薩道の文礼拝住処の事
御義口伝に云く我とは本因妙の時を指すなり、本行菩薩道の文は不軽菩薩なり此れを礼拝の住処と指すなり。
第廿一生老病死礼拝住処の事
御義口伝に云く一切衆生生老病死を厭離せず無常遷滅の当体に迷うに依つて後世菩提を覚知せざるなり、此を示す時煩悩即菩提生死即涅槃と教うる当体を礼拝と云うなり、左右の両の手を開く時は煩悩生死上慢不軽各別なり、礼拝する時両の手を合するは煩悩即菩提生死即涅槃なり、上慢の四衆の所具の仏性も不軽所具の仏性も一種の妙法なりと礼拝するなり云云。
第廿二法性礼拝住処の事
御義口伝に云く不軽菩薩・法性真如の三因仏性・南無妙法蓮華経の廿四字に足立て無明の上慢の四衆を拝するは薀在衆生の仏性を礼拝するなり云云。
第廿三無明礼拝住処の事
御義口伝に云く自他の隔意を立て彼は上慢の四衆・我は不軽と云う、不軽は善人・上慢は悪人と善悪を立つるは無明なり、此に立つて礼拝の行を成す時善悪不二・邪正一如の南無妙法蓮華経と礼拝するなり云云。
第廿四蓮華の二字礼拝住処の事
御義口伝に云く蓮華とは因果の二法なり、悪因あれば悪果を感じ善因あれば善果を感ず内証には汝等三因仏性の善因あり、事に顕す時は善果と成つて皆当作仏す可しと礼拝し給うなり云云。
- 自由語検索