御書本文
顕すなり所謂南無妙法蓮華経の法師なるが故なり云云。
一宝塔品
御義口伝に云く此の宝塔は宝浄世界より涌現するなり、其の宝浄世界の仏とは事相の義をば且らく之を置く、証道観心の時は母の胎内是なり故に父母は宝塔造作の番匠なり、宝塔とは我等が五輪・五大なり然るに詑胎の胎を宝浄世界と云う故に出胎する処を涌現と云うなり、凡そ衆生の涌現は地輪より出現するなり故に従地涌出と云うなり、妙法の宝浄世界なれば十界の衆生の胎内は皆是れ宝浄世界なり、蓮華の宝浄なれば十界の胎内悉く無垢清浄の世界なり、妙法の地輪なれば十界に亘るなり蓮華の地なれば清浄地なり、妙法の宝浄なれば我等が身体は清浄の宝塔なり妙法蓮華の涌出なれば十界の出胎の産門本来清浄の宝塔なり、法界の塔婆にして十法界即塔婆なり妙法の二仏なれば十界三千・皆境智の二仏なり、妙法の一座には三千の心性皆以て二尊の所座なり妙法蓮華二仏一座なれば不思議なり清浄なり、妙法蓮華の見なれば十界の衆生・三千の群類・皆自身の塔婆を見るなり、十界の不同なれども己が身を見るは三千具足の塔を見るなり己の心を見るは三千具足の仏を見るなり、分身とは父母より相続する分身の意なり、迷う時は流転の分身なり悟る時は果中の分身なり、さて分身の起る処を習うには地獄を習うなり、かかる宝塔も妙法蓮華経の五字より外は之れ無きなり妙法蓮華経を見れば宝塔即一切衆生・一切衆生即南無妙法蓮華経の全体なり云云。
一提婆品
御義口伝に云く此の品には釈尊の本師・提婆達多の成仏と文殊師利・教化の竜女成仏とを説くなり、是れ又妙法蓮華経の提婆竜女なれば十界三千皆調達竜女なり、法界の衆生の逆の辺は調達なり法界の貪欲・瞋恚・愚癡の方
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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御義口伝巻下 | 身延 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
御義口伝巻下 797ページ
顕すなり所謂南無妙法蓮華経の法師なるが故なり云云。
一宝塔品
御義口伝に云く此の宝塔は宝浄世界より涌現するなり、其の宝浄世界の仏とは事相の義をば且らく之を置く、証道観心の時は母の胎内是なり故に父母は宝塔造作の番匠なり、宝塔とは我等が五輪・五大なり然るに詑胎の胎を宝浄世界と云う故に出胎する処を涌現と云うなり、凡そ衆生の涌現は地輪より出現するなり故に従地涌出と云うなり、妙法の宝浄世界なれば十界の衆生の胎内は皆是れ宝浄世界なり、蓮華の宝浄なれば十界の胎内悉く無垢清浄の世界なり、妙法の地輪なれば十界に亘るなり蓮華の地なれば清浄地なり、妙法の宝浄なれば我等が身体は清浄の宝塔なり妙法蓮華の涌出なれば十界の出胎の産門本来清浄の宝塔なり、法界の塔婆にして十法界即塔婆なり妙法の二仏なれば十界三千・皆境智の二仏なり、妙法の一座には三千の心性皆以て二尊の所座なり妙法蓮華二仏一座なれば不思議なり清浄なり、妙法蓮華の見なれば十界の衆生・三千の群類・皆自身の塔婆を見るなり、十界の不同なれども己が身を見るは三千具足の塔を見るなり己の心を見るは三千具足の仏を見るなり、分身とは父母より相続する分身の意なり、迷う時は流転の分身なり悟る時は果中の分身なり、さて分身の起る処を習うには地獄を習うなり、かかる宝塔も妙法蓮華経の五字より外は之れ無きなり妙法蓮華経を見れば宝塔即一切衆生・一切衆生即南無妙法蓮華経の全体なり云云。
一提婆品
御義口伝に云く此の品には釈尊の本師・提婆達多の成仏と文殊師利・教化の竜女成仏とを説くなり、是れ又妙法蓮華経の提婆竜女なれば十界三千皆調達竜女なり、法界の衆生の逆の辺は調達なり法界の貪欲・瞋恚・愚癡の方
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