御書本文
り、法華経の本国土妙・娑婆世界なり、本門寿量品の未曾有の大曼荼羅建立の在所なり云云、瑜伽論に云く東方に小国有り、其の中唯大乗の種姓のみ有り、大乗の種姓とは法華経なり法華経を下種として成仏すべしと云う事なり、所謂南無妙法蓮華経なり小国とは日本国なり云云。
一与大比丘衆の事 仰に云く文句の一に云く釈論に明す、大とは亦は多と言い亦は勝と言う、遍く内外の経書を知る故に多と言う、又数一万二千に至る故に多と言う、今明さく大道有るが故に・大用有るが故に・大知有るが故に・故に大と言う、勝とは道勝れ・用勝れ・知勝る、故に勝と言う、多とは道多く・用多く・知多し故に多と言う、又云く含容一心一切心なり、故に多と名くるなり、記の一に云く一心一切心と言うは心境倶に心にして各一切を摂す、一切三千を出でざるが故なり、具に止観の第五の文の如し、若し円心に非ざれば三千を摂せず、故に三千惣別咸く空仮中なり、一文既に爾なり他は皆此れに准ぜよ、此の本末の心は心境義の一念三千を釈するなり、止観の第五の文とは夫一心具十法界乃至不可思議境の文を指すなり、心境義の一念三千とは此の与大比丘衆の大の字より釈し出だせり、大多勝の三字・三諦・三観なり、円頓行者起念の当体・三諦三観にして大多勝なり、此の釈に惣と云うは一心の事なり、別とは三千なり、一文とは大の一字なり、今末法に入つては法華経の行者・日蓮等の類、正しく大多勝の修行なり、法華経の行者は釈迦如来を始め奉りて悉く大人の為に敬い奉るなり誠に以て大曼荼羅の同共の比丘衆なり、本門の事の一念三千・南無妙法蓮華経・大多勝の比丘衆なり、文文・句句・六万九千三百八十四字の字ごとに大多勝なり、人法一体にして即身成仏なり、されば釈に云く大は是れ空の義・多は是れ仮の義・勝は是れ中の義と、一人の上にも大多勝の三義・分明に具足す、大とは迹門・多とは本門・勝とは題目なり、法華経の本尊を大多勝の大曼荼羅と云うなり、是れ豈与大比丘衆に非ずや、二界・八番の雑衆悉く法華の会座の大曼荼羅なり、法華経の行者は二法の情を捨てて唯妙法と信ずるを大というなり、此の題目の一心に一切
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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御講聞書 | 身延 |
日蓮大聖人御書
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御講聞書 812ページ
り、法華経の本国土妙・娑婆世界なり、本門寿量品の未曾有の大曼荼羅建立の在所なり云云、瑜伽論に云く東方に小国有り、其の中唯大乗の種姓のみ有り、大乗の種姓とは法華経なり法華経を下種として成仏すべしと云う事なり、所謂南無妙法蓮華経なり小国とは日本国なり云云。
一与大比丘衆の事 仰に云く文句の一に云く釈論に明す、大とは亦は多と言い亦は勝と言う、遍く内外の経書を知る故に多と言う、又数一万二千に至る故に多と言う、今明さく大道有るが故に・大用有るが故に・大知有るが故に・故に大と言う、勝とは道勝れ・用勝れ・知勝る、故に勝と言う、多とは道多く・用多く・知多し故に多と言う、又云く含容一心一切心なり、故に多と名くるなり、記の一に云く一心一切心と言うは心境倶に心にして各一切を摂す、一切三千を出でざるが故なり、具に止観の第五の文の如し、若し円心に非ざれば三千を摂せず、故に三千惣別咸く空仮中なり、一文既に爾なり他は皆此れに准ぜよ、此の本末の心は心境義の一念三千を釈するなり、止観の第五の文とは夫一心具十法界乃至不可思議境の文を指すなり、心境義の一念三千とは此の与大比丘衆の大の字より釈し出だせり、大多勝の三字・三諦・三観なり、円頓行者起念の当体・三諦三観にして大多勝なり、此の釈に惣と云うは一心の事なり、別とは三千なり、一文とは大の一字なり、今末法に入つては法華経の行者・日蓮等の類、正しく大多勝の修行なり、法華経の行者は釈迦如来を始め奉りて悉く大人の為に敬い奉るなり誠に以て大曼荼羅の同共の比丘衆なり、本門の事の一念三千・南無妙法蓮華経・大多勝の比丘衆なり、文文・句句・六万九千三百八十四字の字ごとに大多勝なり、人法一体にして即身成仏なり、されば釈に云く大は是れ空の義・多は是れ仮の義・勝は是れ中の義と、一人の上にも大多勝の三義・分明に具足す、大とは迹門・多とは本門・勝とは題目なり、法華経の本尊を大多勝の大曼荼羅と云うなり、是れ豈与大比丘衆に非ずや、二界・八番の雑衆悉く法華の会座の大曼荼羅なり、法華経の行者は二法の情を捨てて唯妙法と信ずるを大というなり、此の題目の一心に一切
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